2018年6月18日月曜日

AIがもたらす学歴社会の崩壊

人工知能革命によって「学歴社会」は崩壊する

 今回は、この山ちゃんウェブログではよく取り上げている人工知能(AI)ネタ。元記事はForbes JAPANの記事で、田坂広志氏によるものです。田坂氏の書かれていることはこれまで自分の書いて来たことにも近く、人工知能(AI)の発展によって大きく社会の価値観が変わってしまうだろうというものです。

 2018年6月の今現在は、まだ「知識修得力」と「論理思考力」に優れるという意味での「頭の良さ」に高い価値が認められていると思います。例えば、東大ブランド。最近テレビをつけると、現役東大生という若者がクイズを出したり答えたりしている番組をよく見かけます。視聴者は彼らの頭の良さに「さすが東大」と感嘆したり、「よくそんなこと知っているなあ」と驚いたりします。

 そしてここで我々が認識している彼らの頭の良さは、先に述べた「知識」と「思考力」なんだと思います。そして現時点ではまだ、多くの知識と優れた思考力を持つ人は、それらを持ち合わせない人より高く評価されていると思います。評価と言っているのは、就職のしやすさや先の東大生がメディアでチヤホヤされることなど定性的なものも、企業から示される給与額のような定量的なものもあるでしょう。そして、「知識」と「思考力」を持ち合わせていますよという証明書が、いわゆる「学歴」というヤツです。つまり、東大卒とか早慶卒のようなピカピカの学歴は、「知識」と「思考力」に優れていますよと言っているに近いわけです。

 しかし田坂氏が言われているように、「知識修得力」と「論理思考力」は実はAIのもっとも得意な分野です。これらの力に優れていることで評価されて来た人材は、どんどんAIに置き換えられていくでしょう。特にAIの格好の餌食になるだろうと言われているのが、いわゆる「士(サムライ)職業」で、具体的には税理士、会計士、弁護士、司法書士といった職種です。自分はこれらの職業にさらに、医者、裁判官といった職業も加えたいと思います。つまり言いたいことは、従来「頭の良さ」を武器に高い報酬を得ていた職業ほどAIの餌食になりやすいということです。それに対して、プロ野球選手、芸能人、ホスト、ホステスのような、「頭の良さ以外」の部分で高い報酬を得ていた人は安泰というわけです。

 知的職業の危機は、現在の学歴社会の崩壊を意味します。先に述べたように、学歴があるというのは「知識」と「思考力」に優れるという意味ですので、AIの普及でこれらの能力に対する需要が劇的に下がるとすれば、現在の意味で言うところの「学歴がある」ことの評価は下がります。

 では、「知識修得力」と「論理思考力」に代わって重要度が上がる能力とはどんなものなのでしょうか。田坂氏は次の3つの能力だと説明されています。

(1)職業的能力
 いわゆる教科書的な知識ではなく、経験を通じて掴むようなノウハウ。スキルやテクニックも重要ですが、マインドやパッションのような心の能力もより重要です。

(2)対人的能力
 コミュニケーション能力ということですが、言語的なものよりもむしろ眼差しや表情、仕草や姿勢、空気感など非言語的なものでメッセージを出したり受け取ったりする能力。

(3)組織的能力
 コーチングということですが、単にスキルを伸ばすというだけでなく、メンバーの人間的成長を支え創造力を引き出すような「心のマネジメント」や「支援型リーダーシップ」の力。

 従来重要視されていた「知識」と「論理的思考力」がデジタル的な能力と表現できるのに対して、田坂氏がAI革命によって重要になると言われる能力は、総じてアナログ的な能力ではないかと思うのです。ナレッジやロジックのような冷たさよりも、パッションやハートのような暖かさ。

 しかし、ちょっと思い出してください。例えば昭和初期から大正・明治のような時代、人々の価値観はアナログ的なものじゃなかったでしょうか。数字で冷徹にビジネスをする時代ではなく、義理と人情で商売をしていた時代。知識と論理性ではなく、感情と情熱が重視されていたんじゃないかと思います。つまりとても不思議なことですが、最先端のAIがもたらす世界は、懐かしい価値への原点回帰なのかもしれません。

2018年6月16日土曜日

信じるものは救われる?

「宗教を信じること」が長寿につながるかもしれないという研究結果

 今回は新約聖書の最も有名な言葉の一つ「信じるものは救われる」が、ある意味本当かもしれないというお話です。元記事はGigazineのものですが、このGigazineの記事もオハイオ州立大学で心理学を専攻するLaura E. Wallace氏の論文記事を元に書かれています。

 Wallace氏の研究は、2010年から2011年の1年間にアメリカ42都市で発行された1096人分の死亡記事を分析したものです。その結果、何らかの宗教を信仰していたり宗教活動に関わっていた人は、そうでない人に比べて3.82年長生きしていたということでした。わずか1年分、わずか1000人強のデータであること、アメリカの42都市だけのデータであること、死亡記事に明示的に宗教的な活動について言及があったかどうかという点だけの調査であることを考えると、まだまだ「仮説」の域を出ないとは言えるでしょう。が、それでも宗教というものが、実際に人間の健康や長寿に影響があるかも知れないというのは納得性が高い気がしませんか。

 宗教を信じることが長寿につながることの理由は、それこそ推測に過ぎませんが、1つは宗教を信じる人はアルコールや薬物使用などの不健康な習慣がない人が多いと考えられます。宗教の教えには「禁欲」を説くものが多く、三大欲求(性欲・食欲・睡眠欲)のうち睡眠欲を制限する宗教はまれですが、多くの宗教で性欲と食欲は制限が課せられます。もちろん、これらの欲求を制限することが必ずしも健康上プラスばかりではないかも知れませんが、概ね禁欲的な人はそうでない人に比べて健康的な生活をしていると言えるのではないでしょうか。

 禁欲は宗教が「身体の健康」に与えるプラス影響についての仮説ですが、もう一つ、論文記事の共著者でもあるオハイオ州立大学心理学准教授のBaldwin M. Way氏の「多くの宗教が戒律として定めている祈りや瞑想はストレスを軽減する」というコメントのように「心の健康」への影響もあるかも知れません。祈りや瞑想あるいは神を信じる心によって心の安寧が得られ、それが結果的に長寿につながるという仮説です。

 さらに、宗教と長寿の関係性において興味深い示唆が得られています。それは、住民の「経験への開放性」が高い都市は、低い都市に比べて「宗教を信仰する人」と「無宗教の人」の平均寿命の差が小さいということです。いきなり「経験への開放性」と言われてもピンと来ませんが、人の性格を
(1)経験への開放性 (Openness to Experience)
(2)勤勉性 (Conscientiousness)
(3)外向性 (Extroversion)
(4)協調性 (Agreeableness)
(5)情緒不安定性 (Neuroticism)
という5つの性質で説明しようという心理学的な分類です。この中で「経験への開放性」という特性だけが分かりづらいですが、文化的・芸術的活動への関わり度合いとか好奇心の強さとか様々な説明の仕方がされていて、いわゆる詩人やアーティスト系の特性と言えるでしょう。そういう特性を持つ人が多い都市では、宗教を信仰する人と信仰しない人の寿命差は小さかったというのです。そして、宗教を信仰する人の寿命に有意な差がないことから、「無宗教の人の寿命」が長い傾向にあると言えます。これは、宗教がもたらす健康へのポジティブな効果が、宗教に関係しない人たちにも間接的に影響を与えているのかも知れません。

 どちらかというと宗教は自分からは遠い存在で、他の人が宗教に時間を費やしてるのを見て、時間がもったいないなくらいに思っていた自分なのですが、健康に対してプラスの影響があるというのは目からウロコでした。宗教の持つ禁欲の戒律が身体の健康を促進し、救われると信じる安心感が心の健康を促進する。そう思うと、過度にハマり過ぎない程度にうまく宗教と付き合うのは悪くない気がしてきます。

2018年6月11日月曜日

日本って思ったより大きいんだ!

https://thetruesize.com/ :

 今回は日本の国土って意外に大きいんだという話題です。元記事はJames Talmage氏とDamon Maneice氏が製作した「The True Size Of...」というサイト。国名を入れるとその国を世界地図上のいろいろなところへドラッグでき、大きさを比較できるという面白いサイトです。そして試しに「Japan」と入力して表示された日本をヨーロッパにドラッグしたものがこちらです(↓)。

 どうです? 日本って思ったより大きくありませんか。ヨーロッパが実際より大きい印象があるのに対して、日本は実際より小さい印象がある気がします。例えばイギリスが244,820km²なのに対して、日本は377,914km²と、日本の方がだいぶ大きいのですが、なんとなく同じくらいかなと思っていませんでしたか。

 日本を実際より小さく、ヨーロッパ諸国を実際より大きいと錯覚させている元凶が、小学生か中学生くらいの時の授業で習った「メルカトル図法(Mercator projection)」。子供の頃から見慣れているこの地図は、地理学者ゲラルドゥス・メルカトル氏が1569年に発表した投影法の地図です。等角航路が直線で表されるので、海図・航路用地図としては極めて有用なのですが、世界地図をこれで表すのには極めて大きな弱点があります。その最大の弱点とは...面積が不正確なことです。しかも極めて不正確なのです。何しろ北極と南極は本来は点であるにも関わらず無限大に拡大されるのですから。

 つまりメルカトル図法の地図では、赤道に近いほど小さく、北極・南極に近いほど大きく表示されるわけです。例えばメルカトル図法では、日本が実際より小さく表示されるのに対して、グリーンランドは実際より大きく表示されます。元記事のサイトでグリーンランドを日本のすぐ横に持ってきてみると、思ったほど大きくないことに気づきます。実際は日本の面積の5.7倍あるので決して小さくはないのですが、それでも、メルカトル図法の地図で馬鹿でかく描かれている印象から、もっともっと大きいと錯覚していませんでしたか。

 面積の大きな国を順番に赤道上に並べてみましょう(↓)。確かに、ロシアやカナダ・中国の国土は大きい。大きいですが、メルカトル図法に騙されて、もっともっと大きいと錯覚していませんでしたか。

 自分もそうですが、子供の頃から一番見慣れている世界地図はメルカトル図法のような気がします。日本以外の国の小学校や中学校でどんな地図が使われているのか知らないのですが、日本におけるメルカトル図法の「印象操作」は強烈なものがあります。子供の頃から、こんな地図(↓)を見せられて視覚的に「日本は小さい」「小さい国土しかない日本」と刷り込まるわけです。もちろん、国土の大きさが全てではありませんが、小さい国土しかないと思い込まされている日本人は、精神的にもどこか引け目というか腰が引けてしまうところがある気がします。


 国土の広さランキングでは日本は第62位。ジンバブエ(61位)とドイツ(63位)の間で、世界196カ国の中ではどちらかというと大きな方だと言えるでしょう。先に述べたように、国土の広さで精神的に強気・弱気になるわけではないのですが、もともと控えめというか自らをへりくだる傾向がある日本人の精神構造に、「小さな国土」という先入観が加わることで、必要以上にへりくだったり自らを下に考えてしまっているのではないかと思うのです。そして、言い過ぎかもしれませんが、国際社会における日本人の弱腰ぶりとか、ワールドワイドなビジネスの場において日本企業がリードできないのも、この「日本は小さい」という刷り込みにも一因があるのではないかと思うのです。

 実は面積をできるだけ正しく表現できる地図図法というのもたくさんあります。例えばこちらのサイトでは、様々な地図図法が解説されていますので、その中から2つほどご紹介しましょう。1つ目は、サンソン図法という、すべての緯線と中央経線の長さが正しい地図です(↓)。高緯度の歪みが大きいので、ヨーロッパや米国など緯度の高い国々がだいぶ変な形になります。

 2つ目はモルワイデ図法(↓)。サンソン図法ほど極端な歪みを避けた表現で、これくらいなら高緯度の国々でも受け入れられるかもしれません。

 面積をそれなりに正しく表現できる地図があるのですから、自分は、小学校・中学校で子供に見せる地図はこちらを使って欲しいと思うのです。そして「日本は決して小さな国じゃない」という正しい認識を持って育って欲しい。例えば、帰国子女など幼い時期を海外で過ごした人の方が、物怖じせず世界の人とも対等に渡り合っていける人が多い気がしますが、それも海外で見せられる地図に日本が大きく載っていて、自分は日本人だというプライドが育つという理由もあるのかもしれない。「小さな日本」を刷り込まれて大人になった人よりも、「日本はそれなりに大きな国」という教育を受けて育った人の方が、世界に対しても臆することなく渡り合っていけるんじゃないかと思うのです。

2018年6月9日土曜日

大谷投手ばりのスピードボールを投げる方法

大谷に挑戦! 高いマウンドから投げれば素人でも球速165キロ出せるのか?:

 相変わらず「Blog This!」が使えないので、手動操作で元記事のリンクを作りましたが、今回はあの二刀流・大谷投手に挑戦しようという話題です。元記事はねとらぼのQuizKnock氏によるものです。

 さて、挑戦とは言いましたが、大谷投手の165km/hの豪速球を素人が打ち返せるわけありませんので、ここは大谷投手と同じスピードボールを投げてみようという話題なのです。ん? 165km/hのボールを打ち返すより、投げる方がむしろ絶望的に無理・ムリ・むり。素人が同じ条件で大谷投手と張り合うことはできないので、ここは大きなハンデを貰おうというわけです。そう、「マウンドの高さ」というハンデを貰うことで、大谷投手と同じ豪速球を投げてみようという思考実験なのです。

 ピッチャーがボールを投げるマウンドというのは、グランドの他の部分よりすり鉢を逆さにしたように少し高くなっています。そしてピッチャーは、マウンドの傾斜を利用してスピードボールを投げているのです。公式ルールでは、高さは10インチ、傾斜についても規定がありますが、ここは思考実験ですので、我々素人に与えられるハンデではこの高さをもっともっと貰えるものとして、一体どれくらい高いマウンドから投げれば大谷投手と同じスピードボールが投げられるかということを考えます。


 話を簡単にするために、ここでは高校物理でやるような「エネルギー保存の法則」で考えます。マウンドの高さh(厳密にはマウンドの高さ+ピッチャーのリリースポイントの高さ)で速さvのボールを投げた時に、この高さというエネルギー(位置エネルギーと言います)がホームベース上でスピードのエネルギー(運動エネルギーと言います)に変わって速さuになるとすると、下の図のような計算式が成り立ちます。これがエネルギー保存の法則です。

 ここまで話を単純化してしまうと、我々素人が使う高いマウンドh' と大谷投手が使う普通のマウンドhでそれぞれエネルギー保存の式を書いてみて、ホームベース上でのスピードが同じ(uu')とすれば、下のように素人の使うマウンドの高さh'は、普通のマウンドの高さhにハンデ分を足した式で表されます。
この式に、ちょっと乱暴ですが大谷投手の手を離れた瞬間のスピードをv=165km/hとし(本当は手を離れた瞬間はもっと速い)、素人の投げるスピードv'=60km/hとし、本当のマウンドの高さh=0.254m、重力加速度(定数)じは9.8m/s2を使用すると、必要なマウンドの高さh'は..................なんと、93m!

 ピッチャーとホームベースの間は18.44mですから、20m弱のところに高さ93mもの山がそびえ立っているという奇妙な図(↑)になります。バッターはほとんど真上に感じるであろう78.6° という角度で大谷投手と同じスピードのボールがくるわけですから、角度がついている分、むしろ大谷投手よりも打ちづらいかも知れませんね。

 今回は話を簡単化するためにかなり無理な前提を置きましたが、素人が大谷投手ばりのスピードボールを投げるにはここまでハンデをもらう必要があると思うと、大谷投手の凄さをより一層実感する気がします。すでに投手として4勝、野手として6ホームランと、メジャーでも二刀流の活躍を見せる大谷投手。この勢いで活躍して欲しいですね。

2018年6月7日木曜日

Blog This! が使えなくなった?!

 これまで、この山ちゃんウェブログの記事投稿には、Blog This!という拡張機能を使っていました。この拡張機能は、気になった記事をもとに自分なりの考えや意見を書いてログ(記録)を残しておく「当初の意味でのWebログ」には非常にマッチしていました。


 「Blog This!」を追加したGoogle CromeにはURL入力欄の横に上のようなアイコンが表示され、気に入った記事を表示させてこのボタンをクリックすると、その記事を元に自分のブログ記事を書けるというもので、この山ちゃんウェブログの記事はほとんどこの機能を使って投稿してきたのです。それが、...今週月曜の時点では大丈夫だったのですが、今日久しぶりに投稿しようかと思ったら、ないのです。アイコンが。もう一度Chrome Webストアで探してみても見つからないですし、過去のリンクから辿ってみましたが、Google Chromeへ追加しようとするとエラーになってしまいます。

 もちろん手作業で元記事へのリンクを作っておけばいいのですが、これまでなかった手間が増えるというのは、なんだか煩わしいですよね。どなたか解決法ご存知の方は教えてもらえるとありがたいです。(ちなみに自分の環境は、macOS High Sierra 10.13.4でGoogle Chromeは67.0.3396.62。おそらく現時点では最新に近いと思うのですが)

2018年6月4日月曜日

勉強しない仕事しない人間はAIが排除する社会

Chinese school uses facial recognition to monitor student attention in class:

 今回の話題は「監視社会」。元記事は、The Telegraphの掲載されたNeil Connor氏によるものです。もともと監視カメラの映像は監視と監査(何かがあった時の検証)目的であることが多かったですが、最近は人工知能(AI)の発展によって、映像を積極的に解析して新たなサービスを展開しようという動きが活発です。しかし、今回ご紹介する中国の事例は、なんだか背筋がゾッとする気がします。

 画像解析を積極的に利用する例としては、例えば空港やビルでのセキュリティ。従来より監視カメラが設置されていて、中央監視室のようなところでたくさんのモニターにその映像が映し出されていましたが、実際のところ人がじっと映像を見続けるのは拷問に等しく、映像は垂れ流しでした。しかし、画像解析にAIが活用されるようになった最近では、問題がある映像を検出した時にアラートが出てその時だけ人がチェックするという運用になっていますので、効率的で現実的な監視がなされるようになっています。例えばブラックリストに登録された人物が映った時にアラートを出したり、用もないのにウロウロしているなど怪しげな動きをしている人がいるとアラートを出したり。監視カメラ映像を活用したそんな応用例の一つに、今回ご紹介する中国の事例も当てはまるかもしれません。

 前置きが長くなりましたが、杭州のある高校では、教室の黒板の上に3台の監視カメラが設置されています。教室内に監視カメラを設置する時点で、日本よりも監視社会が進んでいることがよくわかりますが、ここからが画像の応用例。「スマートアイ」と呼ばれるシステムによって、授業を受ける高校生の映像をAIがリアルタイムに分析します。そして、授業を真面目に受けていない生徒を見つけ出すのです。単純に授業中に寝ているとか、ふざけているとかいうだけでなく、このAIは感情分析を行なうことで授業に集中できていない生徒がいれば、直ちに誰が授業に集中していないかを教壇の先生に通知します。そして、先生がその生徒に注意を与えるという運用なんだそうです。逆に授業態度が常に良い生徒は、成績に加点がなされるのだそうですが、その判断も先生の判断ではなくAIによる判断。

 よく考えると、AIによる判断で生徒が授業に集中していないとか、授業態度が良いとか判断するのは、先生の独断と偏見によって判断される従来の仕組みよりもずっと公平で透明性が高いと言えるかもしれません。人間の先生は間違いも多いですし、えこ贔屓もあるかもしれません。普段の生活態度が気にくわないとか、親が資産家で学校に影響力を持っているとか、そんな余計な情報やバックグラウンドは影響しません。

 しかしそれでも、この仕組みに対して背筋がゾッとするのは自分だけではないと思います。自分が高校生だった時、どの授業もずっと集中して聞いていたかを思い出してみればわかるでしょう。単に監視カメラで撮られているだけでなく、ずっとAIによる判断が下されているのは、気が休まる時間がない気がしませんか。生徒だけじゃありません。今は生徒が授業に集中しているかだけが監視されていますが、じきに先生側も監視対象になるはずです。同じクラスを教える英語の先生と数学の先生の授業を比べて、どちらの方が生徒が授業に集中しているかは全く同じ仕組みで判断できるわけです。そうすると、先生ごとの授業の品質もすぐに見える化されることでしょう。

 もう少し考えれば、学校の場だけでなく労働者全般にも同じことが適用される将来像にゾッとしませんか。工場労働者だけでなくホワイトカラーであっても、映像解析をもとに仕事に全力投球しているかどうかを常に関し続けられる。そんな社会。経営者側の視点に立てば、労働者をフル活用することが自らのメリットなのですから、当然真面目に働く社員を重宝して不真面目な社員は追放したいところです。従来は上司の判断という曖昧なものでしたが、AIによる公平な判断でクビを宣告されるわけですから、「それは不当解雇だ」という指摘は当たらないわけです。たとえ司法の場に持ち込んでも、証拠映像は企業側がしっかり握っていますから、労働者側の自分は頑張っていたという感情論は聞いてもらえないでしょう。

 監視カメラと画像解析による「見える化」。これまで見えなかったことが「見える」ようになるということは、それだけ気が抜けない・息苦しい世の中を生み出してしまう可能性が高いと思うんです。以前、タレントのふかわりょう氏が「ハイレゾ社会の息苦しさ」という表現をされている新聞記事を紹介しましたが、これまで聞こえなかったような音が聞こえる、これまで見えなかったことが見える。そんな社会は、人間が追求してきたテクノロジーの究極形のひとつかもしれませんが、逆に人間を追い詰めてしまうかも知れません。

2018年5月31日木曜日

成長は変化。最終的に元に戻ったとしてもそれも成長だ

『成長』の概念への再考 ~新しい認識に向かって~ | METHOD NETWORK【メソード ネットワーク】:

 今回はブログサークルで互いに切磋琢磨させて頂いているトニーマサキ氏の記事を元に、成長とは何かという話題です。自己実現とか成長というのは人生における大きな目標で、昨日の自分よりも今日の自分、今日の自分よりも明日の自分が成長できるようみんな毎日を懸命に生きています。

 そんななかでトニーマサキ氏の言われているのは、成長は一概に「プラス」だけだとは限らないんじゃないかということです。「昨日の自分+α=今日の自分」というように、プラスアルファをどんどん付け加えていくことがすなわち「成長」だというのはなんだか違うんじゃないかと。

 元記事を読ませて頂いて、自分は「マイナス」することが「成長」というケースもあるんじゃないかと考えました。例えば、禅とか宗教的な修行の世界。煩悩を断ち切ったり、余計な考えをそぎ落としていくことで高みに登っていこうという精神世界があります。他にも例えば、デザインの世界。余計な装飾をそぎ落として、シンプルさを追求していくことでスタイリッシュさを獲得する。必ずしもプラスすることだけが「成長」ではなく、マイナスすることが「成長」という世界はたくさんあると思います。そういう意味では、「変化」こそ成長ではないかと。プラス方向なのかマイナス方向なのか分かりませんが、成長とは昨日と同じ場所に止まらず歩みを進めること、それこそが成長だと思います。

 しかしトニーマサキ氏の記事は、さらに先を行きます。「プラス・マイナスという成長の尺度ではなく、『ただ、そこに在る自分』を感じ取れること」が大切だと。そうです、自分の考えではプラスかマイナスかはあるにしてもどちらかの方向に進むことが成長だと考えていましたが、トニーマサキ氏はその場で動かないこともまた重要なんだと。言葉を借りるなら「幸せを求めて長い間旅をしてきた。幸せを探し求めて遠い旅に出た。ところが、幸せは、自分のポケットの中に既に入ってあった」。

 世界中を旅した人が「やっぱり日本が一番だった」と言ったり、そこまでの経験でなくても、旅先から帰った時に「やっぱりうちが一番だ」と言う一言が漏れたり。そんな経験は誰にもあると思います。しかし、それはじっと日本にとどまっていたら、じっと家の中にとどまっていたら、出てこなかった感想じゃないかと思うのです。世界中を見聞きしてきて、旅先を楽しんできたからこそ、それとの比較で実は自分の元の場所はとても素晴らしかったんだと気づく。これも成長だと思うんです。つまり、実は「その場で動かないこと」ではなく、「動いた結果として元の場所に戻ってきた」ということもまた成長ではないかと。