2017年3月1日水曜日

死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

死ぬ瞬間はこんな感じです。死ぬのはこんなに怖い(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(1/4):

 2回連続で「死」を扱った重い話題ですが、前回は「死=大切なものを捨てること」というようにやや綺麗事のように定義していました。今回の元記事は4年以上も前に書かれたものですが、講談社の週刊現代の記事をもとに、もう少しリアルな「死」について考えてみようかと思います。

 最初に、元記事では芥川賞作家で臨済宗妙心寺派福聚寺の玄侑宗久住職の言葉を紹介しています。「小学校2年生のとき、『自分が死ぬこと』ばかりを思って、毎晩のように泣いていました。たとえ死んでも、人の意識はしばらく肉体に留まっていると考えていたからです。その状態で火葬されれば、棺が炎に包まれて、棺の中にいる私に刻々と迫ってくる。あるいは、土葬で埋められた私の体中に蛆が湧きはじめる。それを思うと恐ろしくてどうしようもなかったんです」 実は自分も小学生くらいの頃、やがて自分にも訪れる「死」というものを考えて戦慄し、しばらくその恐怖に取り憑かれていたことがありました。やがて心と体の成長とともに「死への恐怖」は意識の奥底に沈んでいきましたが、大人になった今も突然思い出してその恐怖に苛まれることがあります。

 「死への恐怖」と言った時、それは大きくは2つの意味がある気がします。1つ目は前回取り上げた「この世との別れ」「大切なものとの永遠の別離」といった、より高尚な精神によって感じる『別離』という恐怖です。そして2つ目が今回はじめて取り上げる、「死ぬ時の痛みや苦しみ」「火葬される恐怖」といった、より低い精神レベルで感じるグロテスクな『苦痛』という恐怖です。一体、死ぬ瞬間とはどんなものなのでしょう。光が消えすっと暗闇に入るものなのでしょうか、その時は痛いのでしょうか、それとも何も感じず波に揺られるような感覚なのでしょうか。

 ホームオン・クリニックつくば院長の平野国美氏は、臨死体験をした人の体験談には驚くほどの共通点があるのだそうです。1つ目は「死の自覚と穏やかな精神状態」です。驚くほど多くの方が、自分はここで死ぬと意識してしかもそれを穏やかなに受け入れているのだそうです。死の淵から生還された方は、そんな穏やかな精神状態から突然ほっぺたを叩かれたような感じで、こちらの世界に引き戻されたと語るそうです。2つ目の共通点は「光」です。キラキラ光る世界とか金色に輝く草原など、光り輝くものが見えた感覚があったそうです。そして3つ目は「痛みの消失」です。平野氏は、死を前にしたショック状態の時は、痛みを感じなくさせるために脳内麻薬が分泌され、それが出た状態で見える世界が日本では三途の川と言われるのだそうです。確かに、痛みもなく穏やかに光に包まれるという共通点は麻薬の作用に似ている気もします。そして臨死体験をした方は口を揃えて、恐怖を感じることはなくむしろ安らぎを覚えたと語っています。「死の恐怖」に怯える自分には、この話は恐怖を和らげてくれる気がします。

 いざ死ぬ瞬間の『苦痛』が脳内麻薬のおかげで和らげられて穏やかなものだとしたら、我々にとってはむしろ前回も取り上げた『別離』という恐怖が大きくなります。都内のホスピス科医師は、若者やお年寄りよりもむしろ30~60代の患者こそ冷静な判断力を失うと語っています。人生のステージ的にも、人や活動・物との接点が最も多い世代がこの年代だと思います。特に未成年の子供を持つ世代は死を受け入れないそうで、自分に置き換えてみれば、まだ小学生と保育園生の子供たちと妻を残して逝くのはあまりにも辛いことが理解できます。

 元記事で、なるべく恐怖を抱かずに死の瞬間を迎える考え方が紹介されています。インドの聖地バーラーナシーには人を看取るための「死を待つ人の家」があり、人々は死が訪れるのをじっと待っています。彼らは宗教上「輪廻」という概念を強く信じているので、死や別れを恐れないのです。一方、日本はどうでしょうか。昔は年を取ってものを食べられなくなると、自然に枯れ木のようにやせ細って亡くなっていきましたが、現代人は医療が発達して様々な延命処理を行ない、むしろ別の苦しみを増やしてしまっています。長く生きたいという欲が逆に死への恐怖を増大させているとしたら、なんとも皮肉なことかもしれません。

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