2017年6月29日木曜日

理不尽な「俺の酒が飲めないのか」…江戸時代の武士は意外な対応

理不尽な「俺の酒が飲めないのか」…江戸時代の武士は意外な対応 - まぐまぐニュース!:

 今回の話題は、お酒の席でのマナーについて。それも特に「俺の酒が飲めないのか」なんてことを言ってくる人の扱いと飲めない人とも飲みの席でうまくやる方法について、 弘中勝氏の記事を元に考えてみようと思います。自分は強くはないものの一応人並みには飲めるので、全然飲めない人の気持ちは分かりませんが、「お酒の強要」のみっともなさは理解しているつもりです。

 元記事の著者である弘中氏ご自身お酒は全く飲めないだけでなく、「俺の酒が飲めないのか」なんてことを言ってくる相手には堂々と「飲めないものは飲めません」と言ってきたのだそうです。弘中氏は飲めないことで困ったことは無いと言われてはいますが、自分の感覚から言えば、「飲みニュケーション」なんて言葉(もう死語かと思いきや、未だにその考え方は社会に深く根付いていると思います)があるように、飲めないと一定以上の関係を築けない「機会損失」はやはりあるのだろうとは思います。

 今回の元記事で自分がなるほどと思ったのは、江戸時代の武士の世界で、飲めない人がいても、うまく飲みの場をおさめる作法についてです。なんとなく武士の世界は厳しくて、お酒ぐらいは飲めるようになれと強要されそうに思いますが、実際はそうではなく、飲めない人にもきちんと配慮がなされる社会なのだそうです。飲めない人は「私は下戸です」と直接言うような野暮なことはしませんが、お酌をされる時、お酌をする人の顔を見るのだそうです。普通はお酌をされると盃のほうに目を下げますので、相手に目を合わせるのは変な気もしますが、実はこれが「私は飲めません」という合図なのです。お酌をする人は、その合図を察してお酒を注いだフリをする程度にします。もちろん周囲の人も「おい、注いでないじゃないか」なんて野暮は言いません。飲めない人は、そうやってお酒を注いだフリをされた盃に口をつけて「飲んだことにする」と言うわけです。なんとも粋じゃないですか。

 「武士は食わねど高楊枝」なんて言葉があったり熱いお風呂に入るのが江戸っ子なんて風潮があったりして、武士の礼法は「やせ我慢」だと思ってきましたが、そうではないのです。実は、武士の礼法とは「慎みと気配り」なのです。元記事で紹介されている例に「正座」の例があります。皆さんも正座をして足が痺れてしまった経験があるんじゃないでしょうか。武士の世界では、足が痺れてもやせ我慢で正座し続けると思いがちですが、本当の礼法はそうではないのです。足が痺れた時は、親指で立ちお尻を持ち上げる座り方をするのが実は作法なのです。もちろんそれを見た人が「正座を崩すんじゃない!」なんて野暮なことは言いません。お尻を上げた座り方も、れっきとした作法なのですから。

 こうやって見ると、武士の礼法は「粋」という言葉に尽きるような気がします。もちろん「粋」の反対は「野暮」で、武士がもっとも嫌うものです。飲めない人に無理に飲ませるような野暮なこと、お尻を上げた座り方をする人に足を崩すなと言うような野暮なことをしてはいけません。現代人の我々も、武士の社会を見習って「粋」でいたいものですね。

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