2018年4月21日土曜日

「居眠り」に対する不思議な寛容性

Napping in Public? In Japan, That’s a Sign of Diligence - The New York Times:

 今回はThe New York Timesに掲載されたBryant Rousseau氏による記事を元に、日本人の、「居眠り」に対する不思議な寛容性と見えない部分を想像する文化について考えてみます。

 Rousseau氏は日本のビジネス界でしばしば見られる、「居眠り」に対する不思議な寛容性を指摘しています。ほとんどの国で仕事中に「居眠り」することは、評価を下げるだけでなく、悪くすれば解雇されてしまう可能性があります。しかし日本では、仕事中や会議中に「居眠り」する人を見かけても、不思議にも許してもらえる傾向があるというのです。

 「居眠り」という日本語は英語で「sleeping on duty(勤務中の睡眠)」と訳されることが多いのですが、Downing Collegeで日本人学生相手に教鞭をとるBrigitte Steger氏はむしろ「sleeping while present.(出席中の睡眠)」だと述べています。Steger氏は、居眠りに対する日本人の不思議な寛容性は、複数のことをできるだけ同時に行なうことこそ時間の上手な使い方だという考え方が関係していると言っています。つまり、退屈な会議に出席することと同時に浜辺の休暇を夢見ることを同時に行なっているという分析です。

 しかし、そういうことでしょうか。自分には、Steger氏の分析は全く間違ってはいないものの、的を射ている気はしません。むしろ、日本人にある「影の努力」を美徳と考える文化が関係しているのかもしれないと思います。例えば部下を評価するというシチュエーションで、おそらく世界的には上司の見える範囲が全てなんだと思います。上司と同席した会議中に部下が居眠りすることがあれば、大きなマイナスポイントでしょう。しかし日本では、上司が見えない範囲も「想像で補って」評価に加えるということがないでしょうか。会議中の居眠りも、きっと彼(彼女)はこの会議の資料準備で昨日遅くまで残業したに違いない、こんなに疲れ切ってしまうほど頑張っているんだ、とむしろ評価を上方修正するバイアスがあると思うんです。

 もっと言えば、「みなまで言うな」とか「行間を読め」という日本文化の特徴が関係しているのかもしれないと思うのです。例えば短歌とか俳句では、「5・7・5・7・7」とか「5・7・5」という少ない文字数で言いたいことを表現することが求められます。そして、少ない言葉の裏にできるだけ多くのことを想像させる作品が高く評価されます。これって、とても日本人の特徴を表している文化だと思うのです。それは、書き手と読み手がほぼ同じ文化的背景を持っていることを前提とできる、ということです。一方海外の多くの国では、書き手と読み手が同じ背景を持つことは前提にできないので、「みなまで言う」ようにしないと伝わりません。人を観察したり評価したりするシチュエーションでも、海外の人はその人の見えている部分が全てなのに対して、日本人は見えていない部分を想像しようとするのでしょう。

 居眠りに対する日本人の不思議な寛容性。Steger氏は、この寛容性は中年以上の男性に向けられることが多く、若者や女性に向けられることは少ないのが不思議だと述べています。でもそれは同じ居眠りしている光景の向こうに、中年の男性が疲れ切っているのは遅くまで残業していたに違いない、若者や女性はきっと夜遅くまで遊んでいたに違いない、という想像を働かせているからではないでしょうか。偏見です、もちろん偏見なんですが、そういう偏見の想像を働かせていると考えれば、居眠りに対する寛容性が中年以上の男性に向けられやすいのも理解できると思うのです。

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