2018年6月30日土曜日

男・西野監督が "持っている" もの

“持ってる男”西野朗が持っているものとは何か

 前回サッカーの話題を取り上げましたが、その後、日本代表がロシアワールドカップ決勝トーナメント進出を決め、めでたしめでたし...なのですが、その予選突破を決めた運命のポーランド戦の戦い方が引っ掛かるという指摘があります。そういう指摘はあるものの、3連敗で予選敗退だろうと言う大方の予想を覆す、決勝トーナメント進出を決めた西野監督の手腕はやはりキラリと光ります。

 自分もこの試合を自宅のテレビで観戦しましたが、まず驚いたのが、すでに敗退が決まっているとは言えグループH最強のポーランドを相手に、先発6人を入れ替えるという大胆な選手起用です。成熟したチームはどの選手を起用してもチームとしては同じ力を発揮できると言われていますが、日本はそのレベルには到底至っていないチームです。そんなチームで、運命のポーランド戦で6人もの選手入れ替えを決断できるという肝の座り方は、この監督なら決勝トーナメントに連れていってくれるんじゃないかと予感させました。

 そして驚きの2点目はもちろん、残り時間10分のあの戦術。先発出場を回避させた長谷部選手を投入してまで徹底させた「時間稼ぎ」戦術です。残り10分の時点で、日本はポーランドに0-1とリードされ、同じ時間に開催されているコロンビア対セネガルは、1-0とコロンビアリードです。両会場の試合がこのまま終わると、コロンビアは文句なしで一位通過。セネガルと日本は勝ち点・得失点・総得点・直接対決のどれも決着がつかず、フェアプレーポイントという謎のポイントで日本とセネガルのどちらが2位で決勝トーナメントに進出できるかが決まるのです。フェアプレーポイントの計算は
・イエローカード:-1
・間接レッドカード:-3
・一発レッドカード:-4
・イエローカードを既に1枚受けている選手による一発レッドカード:-5
の総合計で、この時点で日本−4、セネガル−6と日本が2ポイントリード。つまり、このまま両試合とも動くことがなければ、ほんの僅差ではありますが、日本が上へ行ける切符を手にできるというわけです。そしてその僅差に運命をかける決断ができたのが、我らが西野監督だったというわけです。

 ちなみに今回の出場国のフェアプレーポイントを計算して、ワースト順に並べるとこんな感じになります(↓)。

 ワーストは、1試合平均3.6枚イエローカードを貰ったパナマ。ファウル数の多さでも5位と、フェアじゃない戦い方をしましたが、G組はイングランドやベルギーといった強豪国がいたために何とか食らいついた結果とも言えます。2位の韓国も「死の組」と言われたF組で、スウェーデン・メキシコ・ドイツといった強豪相手にがむしゃらに戦った結果とみられます。日本は24位。H組の中で最弱のチームであるにも関わらず、比較的フェアプレーだったと言えます。

 日本のフェアプレー精神がセネガルとの紙一重のところを分けることになりましたが、フェアプレーポイントで勝ち上がった日本の時間稼ぎ戦術は決してフェアプレーじゃないだろうという批判が強いのも事実です。しかし自分は、相手を怪我させる可能性があるラフプレーと、ルールで認められた範囲内の消極戦術には天と地ほどの差があると思います。確かに感情的には、日本代表には最後まで攻めて欲しかった。ただ、時間稼ぎ戦術が批判されるなら、オフサイドトラップも、わざと転んでファールをアピールすることもフェアーでないプレーとして批判されるべきです。ましてや、勝っているチームが残り時間をボール回しで時間稼ぎする光景はこれまでも多く見られた戦術です。

 負け試合でも、ブーイングの嵐に選手たちを晒しても、裏目に出たら自らも集中砲火間違いなしのリスクの大きな賭けであっても、決勝トーナメントに行くために最も確率の高い戦術を冷静に選択できる「決断力」。そして、普段はキャプテンマークをつける長谷部選手をピッチに入れ、戦術を徹底させた「実行力」。この決断力と実行力こそ、西野監督の "持っている" ものなんだろうと思うのです。結果的に、決勝トーナメント進出を決めただけでなく、主力選手を休ませることもできて一石二鳥。いや、ひょっとしたらひょっとするかも。そんな期待を抱かせてくれる、素晴らしいリーダーじゃないかと思います。

2018年6月28日木曜日

サッカーでは幸せにはなれない!?

Football makes fans less happy

 ワールドカップが盛り上がっていますね。今夜、グループリーグH組の日本代表は決勝トーナメント進出をかけて、運命のポーランド戦を迎えます。一方グループリーグF組では、ドイツが韓国に0-2で敗れ、史上初のグループリーグ敗退という波乱がありました。今回は、そんな悲喜こもごもの盛り上がりを見せているロシアW杯に水を差すような内容で恐縮ですが、トータル的な幸福度という観点では、実はサッカーでは幸福感を味わえないという話題です。

 元記事は、サッカーの本場イギリスのUniversity of Sussexから出されたPatrick Reed氏の記事です。研究結果によると、応援するチームが勝利すると最高の喜びを味わえるものの、チームが敗北した際に負う心の痛みは勝利の喜びの倍以上だというのです。単純に言えば、常に2勝1敗の勝率を誇るチームを応援している場合は喜びと心の痛みが釣り合うのでしょうが、これを下回るチームなら応援しない方がいいと言えるのです。つまり、リアルマドリードやバイエルン、バルセロナといった常勝軍団のサポーターでいるぶんには幸福で切られますが、弱小チームのサポーターになると不幸感が勝ってしまう。

 そういう意味で、我らが日本代表は予選リーグをここまで1勝1分けですので、ポーランド戦を勝利か引分けで決勝トーナメント進出すれば天国ですが、万一予選敗退にでもなると、不幸感の方が増してしまうかもしれないわけです。

 この研究は、スマートフォンのアプリ「Mappiness」を利用して、サッカーを観戦する約3万2000人の被験者に対し、「試合後どのように感じているか」「何をしているか」「どこにいるか」「誰といるか」などの質問をして、その回答を分析するという手法です。分析の結果は、サポーターにとって意外であり残念でもありますが、サポーターを続けることによる累積的な幸福度への影響は、圧倒的にマイナスのものであるということでした。具体的には、贔屓のチームが勝利した場合、幸福度は1時間で平均3.9ポイント上昇しましたが、2時間後には1.3ポイントまで低下しました。一方でチームが敗れた場合は、幸福度は1時間で平均7.8ポイントも下がりました。勝利の美酒で上がる幸福度よりも、敗北で心が受ける痛手の方がざっと二倍というわけです。

 ちなみに、この幸福度ポイントの上がり下がりは、スタジアムに駆けつけた場合と自宅でテレビ観戦した場合を両方含んで平均化されていますが、スタジアムに駆けつけた人の分だけを取り出してみると、勝利で平均10ポイント上がり敗北で14ポイント下がるといううように、圧倒的にその振れ幅が大きくなります。

 全体的に見れば幸せになれないのにも関わらず、なぜ人は熱心にサッカーチームを応援するのでしょう。それは、実は試合開始前の高揚感ではないかと考えられます。試合開始のホイッスル直前、スタジアムに駆けつけたサポーターの幸福度は7.9ポイント上昇するのです。幸福度の浮き沈みの振れ幅という点では、自宅でテレビ観戦するよりもスタジアムで応援する方が圧倒的に大きいので、サッカーはスタジアムで見るべしというのは真実かもしれません。

 データが示しているのは、サッカーチームのサポーターになることはメリットが少ないように思えます。しかし、そういった科学的な根拠を示されても、やはり日本代表を応援する自分がいます。運命のポーランド戦にボルゴグラードへ駆けつけられない多くの日本人の方は、自分と同じように今夜テレビにかじり付くと思いますが、この中毒感こそサッカー人気の源なのかもしれません。

2018年6月27日水曜日

スマホやパソコンは子どもが何歳くらいから?

今がチャンス 情報化社会で子を勝ち組にする方法 | 舞田敏彦のデータで読み解くDUALな疑問 | 日経DUAL

 この山ちゃんウェブログではこれまで、子どもを持つ親として知りたくなかった事実について、舞田敏彦氏の記事を何度か取り上げてきました。舞田氏の元記事は基本的に数字をベースに書かれており、数字の説得力を強く感じます。今回はそんな舞田氏の記事を元に、情報化社会で我が子を勝ち組にしようというお話です。

 突然ですが、子どもにスマホやパソコンを買い与えるのは、何歳くらいがよいでしょうか。ちょっと古いですが、2015年度の調査では、スマホの利用率(≒所持率)が50%を超えるのは、男子は15歳、女子は13歳なのだそうです(内閣府『青少年のインターネット利用環境実態調査』)。男子は高校生になった時、女子は中学生になった時に買い与えるという親御さんが多いのかもしれません。実は、自分の小学5年生の姪っ子も、中学生になったらスマホを買ってもらえるから早く中学生になりたいと言っているので、中学生くらいでスマホデビューする子が多いのは感覚的にも正しそうです。しかし、目を海外に向けてみると、スマホに限らずもっと早くから情報機器を与える国が多いようです(これも古いデータですが、2013年の内閣府の国際調査によるもの↓)。

 他にも、OECDの国際学力調査「PISA 2009」によると、日本の15歳の子どものうち、コンピュータを使って自分で「グラフ作成」「プレゼンテーション資料作成」を上手にできると答えた子どもの割合は3割ほどで、調査対象45カ国の中で最低だったそうです。もちろん日本人はこう言った質問に謙虚に答えることが多いので、実際にできるかどうかとはまた違うことも考えられますが、少なくとも先進諸国の中で下位の方にいそうです。

 ICT先進国のデンマークなどでは、学校からの連絡事項はWebサイト経由、授業で使う資料はネットワーク経由で各自の端末にダウンロード、宿題や課題の提出もネットワークからアップロードする、学校行事への出欠もWebサイト上から登録するといった光景が普通だそうで、情報リテラシーがないと学校生活そのものが成り立たなくなりそうです。それに比べて、自分の長男などは小学校からの連絡は紙のプリントを持って帰ってきますし、行事への出欠も紙で提出、宿題の提出も当然紙のノートです。数字ベースの統計でも、学校のICT化という意味では、先進諸国に比べて日本はかなり遅れをとっているようです(↓)。

 なんだ、子どもが小さいうちからスマホを買い与えると、ゲームかYouTubeばかりだから躊躇していたけど、世界的にはもっと小さいうちから買い与えているのか。それなら、うちもまだ小学生だけど、スマホを買い与えてもいいかな。と思ったら、それはちょっと待ってください。

 舞田氏も言われていますが、スマホで情報を「消費」しかしないのであれば、世界で戦える情報リテラシーは身につきません。大きくなってから、情報リテラシーの高い諸外国の人たちと競争していくことを考えると、情報は「消費」ではなく「創造・加工・発信」する側に回ることができないと、本当の意味での情報リテラシーは身につきません。アプリで遊ぶのではなく、アプリを作れるようになる。ゲームをするのではなく、ゲームを作れるようになる。動画を見るのではなく、作れるようになる。小学生のなりたい職業で、YouTuberが上位に入って嘆かわしいという論調の記事を見たことがありますが、自分はむしろ動画を見てばかり(消費してばかり)いるよりは、創造・発信しようとするだけ立派だと思います。もちろん、YouTubeに代わる新しい動画サービスを作り上げようというのが最高ではありますが。

 そういう意味で、最初の「子どもにスマホやパソコンを買い与えるのは、何歳くらいがよいか」という質問に対して、自分なりに答えるとすると、「スマホではなくパソコンを小学生のうちから買い与える」のがよいと思います。情報は「創造・加工・発信」するよりも「消費」する方がはるかにラクで、人間はラクな方に流されやすいのです。スマホは情報の「消費」に最適化されたデバイスですので、それよりも情報の「創造・加工・発信」に優れたパソコンに早いうちから馴れ親しむ方が将来のためだと思います。小学校でプログラミング的思考の授業が始まる2020年度に向けて、プログラミング教育には親が付いて一緒にプログラミングすることが一番と書きましたが、これをきっかけに子ども専用のパソコンを買い与えるのが最適かもしれません。

2018年6月25日月曜日

AIがアイドルの生みの親になる時代

クリエイティブAI開発のデータグリッド、アイドル自動生成AIを開発

 AI・AIって騒ぐけど、人工知能だって所詮コンピュータプログラムなんだから、人間の代わりなんてできない。そんなことをうそぶく人がいますが、私たちが思った以上に現時点のAIの実力は上がっている。今回はそんな話題です。

 まずはこちらのYouTubeの動画をご覧ください(↓)。アイドルの女の子の、顔から顔に次々と滑らかに映像が変わっていく。今どきのAIはこんなにも滑らかに映像を切り替えていけるくらいになったんだ。そう思ったアナタ。残念ながらハズレです。


 実はここに登場するアイドルの女の子は、全て実在しないアイドルなのです。全てAIが作り出した「架空の」アイドル。架空のアイドルを生み出すAIを開発したのは、京都大学を拠点にAI関連システムの開発やコンサルティングなどを手がけるデータグリッド(代表 岡田侑貴氏)です。

 元記事によれば、GAN(Generative Adversarial Network、敵対的生成ネットワーク)と呼ばれる技術が使用されているそうです。GAN自体は「教師なし学習」の技術ですので、最初からGANが使用されたのではなく、多くのアイドルの女の子の写真を学習させたニューラルネットワークを2つ準備し、片方が相手を欺くための写真を生成してもう一方がそれを見破るということを繰り返して精度を高めていくという手法なんだと思います。

 でもこの動画を見て、架空のアイドルだなんて気づきました? どこかで見たことがあるような、それこそAKBグループにいそうな女の子なので、自分が歳を取って、最近のアイドルの子が全然分からなくなった...そんな風に錯覚しませんでしたか?

 そういえば最近は「バーチャルYouTuber」なんてものが登場して、顔出ししなくても動画を配信できるようになっていますが、「バーチャルアイドル」が出てきたら、もう何が何だかわかりませんよね。架空のアイドルに恋する「バーチャルアイドルオタク」なんて人たちが現れるのでしょうか。実在のアイドルよりもアニメの中のキャラクターに恋する人もいるくらいですから、日本では意外に受け入れられるやもしれませんね。

2018年6月22日金曜日

効果的なプログラミング教育とは

小学校のプログラミング教育、埼玉8校でモデル授業

 今回の話題はプログラミング教育。元記事はちょっとおカタく、日経新聞の記事です。以前この山ちゃんウェブログで、プログラミング教育は夏休みの工作に似ているという話や、農業を学ぶには教室の授業より実際の田んぼで稲を植えたり稲刈りしたりという体験をする方がいいという話を書いたりしました。今回その思いが一層強くなったので、もう少し深掘りを。

 元記事にも書かれていますが、「20年度から全面実施される小学校学習指導要領では、全小学校がプログラミング的思考の育成に取り組む」ということになっています。実は自分にも小学生の息子がいますので、指導要領の変化は我がこととして興味があるところです。まず、気をつけなければならないのは「プログラミング能力の育成」ではなく「プログラミング的思考の育成」。つまり、実際にプログラミングできるようになることがゴールではなく、プログラム的な考え方ができるようになることがゴールというのです。でも、これって実際にプログラムを書いている人からすれば、大きな矛盾を感じませんか。

 ソフトウェアやプログラムの世界は、よく建築の世界に例えられます。例えば、ソフトウェアの構造を決める人をアーキテクトと呼んだりしますが、自分はソフトウェアの世界を建築の世界に例えるのは、正しくないどころか誤解の元だと思います。というのも、建築の世界ではデザイナーや建築家・設計者は自分でカンナやトンカチを使えなくても仕事ができますが、ソフトウェアやプログラムの世界は自分でプログラミングできないと設計はできないからです。

 自分でプログラミングできないと設計できないと言うと、いやそんなことはない、プログラミングなんていうものは外注先のITドカタがやる仕事で、大企業のSIerは上流工程として要件定義や基本設計・アーキテクチャ設計を行なうんだと反論する方がいるでしょう。そして、現実的にはそういう意見を持つ人が多く、「プログラミング能力の育成」でなく「プログラミング的思考の育成」と言っていることからもよくわかります。

 しかし自分の経験上、自分でプログラミングできなくても要件定義や設計ができると言う人は、そもそもエンジニアではない人か、エンジニアだとしても実装不可能な設計書を書いてしまって後工程のプログラマーに尻拭いしてもらわなければならない人のどちらかです。本当の意味での「プログラミング的思考」は「プログラミング」でしか身につきません。

 この山ちゃんウェブログでも何度かこの図(↓)を出したことがありますが、ソフトウェアは形が目に見えず想像もしづらいものものですから、目に見えて想像しやすい建築の世界とは違って、人と人の間を伝わる「伝言ゲーム」でどんどん姿が変わってしまうのです。この図では目に見えて想像しやすい遊具に例えているので、まさかそんな伝言ミスや実現不可能な設計、本来の目的を見失った設計が起きるはずがないと思えますが、目に見えず想像もしづらいソフトウェアの世界では実はしょっちゅう起きることです。


 伝言ゲームでこんな馬鹿げた伝言ミスや実現不可能な設計、本来の目的を見失った設計が起きないケースは、自分でプログラミングできる人がアナリストや設計者だったりする場合です。自分でプログラミングできる人は、目に見えないソフトウェアをリアルに想像できる人です。つまり、伝言ゲームで伝えるべき対象を、少なくとも正しく捉えることができるという点で、そうでない人よりもはるかに正しい伝言ができる可能性が高いのです。ソフトウェアをリアルに想像できる人は、つまり頭の中にあるソフトウェアが実際にコンピューター上で動く姿が想像できるということですから、そもそも実現不可能な設計はすることがありません。

 つまり言いたいことは、やはり小学生が「プログラミング的思考」を学ぶためには「プログラミング」を実際に経験してみることが何よりも近道だということです。自分がプログラミングしたソフトウェアがパソコン上で動いたり、ロボットを動かすことができたりする経験をすることが、何よりも大切なんです。そして、息子がやっているオンラインプログラミング講座を一緒にやっている自分の経験からは、これは親が一緒に考えたり手を動かしてあげないと、子供だけでプログラミングを学ぶのは難しいと思うのです。先日も、ちょっとした環境の違いで、オンライン講座の先生の書く通りのプログラムが動かないという事象に出くわしました。そんな時、子どもだけだと解決できないので、先生の言う通りにしたのに動かないと、プログラミングそのものが嫌いになってしまいかねません。

 また、プログラミングでつまづくところは一人一人違いますので、算数や国語以上に大教室で1人の先生が多くの児童に教えるというスタイルは絶対的に向いていないと思います。少なくとも1対1の環境。そして、一緒に考え一緒に手を動かすという最も効率的な学びのためには、やっぱり「夏休みの工作の宿題」と同じように、親が付いて一緒にプログラミングすることが一番なんだと改めて思うわけです。

2018年6月21日木曜日

たかがケーブル、されどケーブル

「白い製品」に「白いケーブル」を添付できないメーカーの裏事情

 今回の話題は、最近ツイッターで話題になった「なぜ日本のメーカーは、海外のメーカーのように、白いボディーの製品に白のケーブルを添付することができないのだろう」という話題です。元記事は、ITmediaの牧ノブユキ氏のもので、牧氏はメーカー事情などその背景などを書かれています。

 正直言ってこの話題を聞いた時、自分の頭の中はハテナでいっぱいになりました。海外メーカーはみんな白いボディに白いケーブルを付けていることが議論の前提になっているようですが、「え、そうなの??」と思うわけです。製品というのが曖昧ですが、自分が持っている海外メーカーのBluetoothヘッドホンやスピーカーなど、黒いUSBケーブルが付属していましたが、これは例外?? 

 いやもちろん、ツイート主が言わんとするところはわかっていますって。あれでしょ。iPhoneとかiPadとかMacBookとか。要するに、Appleのお洒落ガジェットには白いLightingケーブルやUSB-Cケーブルなどが付属してきて、ACアダプターも白いということを言っているんですよね。

 でも、元々の命題「白いボディーの製品に白のケーブル」には、Apple製品も合っていないですよね。実は自分も、Apple製品はiPhoneとMacBookを持っていて、そういう意味ではAppleファンの1人なのですが、持っているのはいずれもスペースグレイです。ボディーが黒っぽい色なのに、白いACアダプターと白いケーブルが付いてきます。むしろ、スペースグレイには黒のケーブルが付いてきて欲しいんですけど... iPhoneやMacBookは、シルバー・ゴールド・ローズゴールドなどの色もありますが、いずれもACアダプターとケーブルは白です。白いケーブルに合う、ホワイトのボディーはないんじゃないでしょうか。

 つまり、日本メーカーがボディーの色によらず黒いケーブルを付けるのに対して、Appleは白いケーブルをつけているだけじゃないかと。メーカー都合によって、ボディーの色とケーブルの色を合わせる気がないという意味では、同じじゃないかと思うんです。そして、日本メーカーは黒を選びAppleは白を選んだ。日本メーカーだけでなく海外メーカーも、汚れや黄ばみが目立つ白よりも汚れが目立たない黒を選ぶことが多いのは、むしろ当然の帰結だと思います。自分の場合、iPhoneにもMacBookにも、スペースグレイのボディーに合わせてサードパーティ製の黒いケーブルを買っているくらいです。

 実は自分が中学生くらいの時、ボディーの白に合わせて白いケーブルが使われていた日本メーカーの製品を愛用していました。それがコレです(↓)。そう、ソニーのウォークマン。確か中学2年生くらいの頃、友達が使っていたこの機種がとてもカッコよく見えて、それまで持っていた黒のアイワ製プレイヤーからわざわざ乗り換えたんです。当時のソニーは今のAppleのようにデザインがシンプルでカッコよく、この製品はイヤホンケーブルもリモコンも白で統一されていて、今でも通用するデザインだと思います。

 しかし。しかしです。この白いケーブルが半端なく汚れるんです。黄ばみも激しく、お店やカタログだとお洒落に見えたウォークマンが、いざ使ってみると薄汚れて見すぼらしくなってしまいました。中学生だった自分は、せっかくデザイン重視で乗り換えたこのウォークマンが、本体のことではなくケーブルのことで薄汚く見えるのが我慢ならなかったことを覚えています。

 白いケーブルは一見デザイン的に優れているように思えますが、一方で汚れにくさというユーザーにとっての重要な価値(品質)が損なわれます。カタログや店頭でお洒落に見える白ケーブルを選択するか、製品のライフサイクル全体で汚れにくさという価値を提供する黒いケーブルを選択するか、あるいは余計なコストをかけてでも製品のカラーと合わせるか。たかがケーブル、されどケーブル。悩ましいところですね。

2018年6月18日月曜日

AIがもたらす学歴社会の崩壊

人工知能革命によって「学歴社会」は崩壊する

 今回は、この山ちゃんウェブログではよく取り上げている人工知能(AI)ネタ。元記事はForbes JAPANの記事で、田坂広志氏によるものです。田坂氏の書かれていることはこれまで自分の書いて来たことにも近く、人工知能(AI)の発展によって大きく社会の価値観が変わってしまうだろうというものです。

 2018年6月の今現在は、まだ「知識修得力」と「論理思考力」に優れるという意味での「頭の良さ」に高い価値が認められていると思います。例えば、東大ブランド。最近テレビをつけると、現役東大生という若者がクイズを出したり答えたりしている番組をよく見かけます。視聴者は彼らの頭の良さに「さすが東大」と感嘆したり、「よくそんなこと知っているなあ」と驚いたりします。

 そしてここで我々が認識している彼らの頭の良さは、先に述べた「知識」と「思考力」なんだと思います。そして現時点ではまだ、多くの知識と優れた思考力を持つ人は、それらを持ち合わせない人より高く評価されていると思います。評価と言っているのは、就職のしやすさや先の東大生がメディアでチヤホヤされることなど定性的なものも、企業から示される給与額のような定量的なものもあるでしょう。そして、「知識」と「思考力」を持ち合わせていますよという証明書が、いわゆる「学歴」というヤツです。つまり、東大卒とか早慶卒のようなピカピカの学歴は、「知識」と「思考力」に優れていますよと言っているに近いわけです。

 しかし田坂氏が言われているように、「知識修得力」と「論理思考力」は実はAIのもっとも得意な分野です。これらの力に優れていることで評価されて来た人材は、どんどんAIに置き換えられていくでしょう。特にAIの格好の餌食になるだろうと言われているのが、いわゆる「士(サムライ)職業」で、具体的には税理士、会計士、弁護士、司法書士といった職種です。自分はこれらの職業にさらに、医者、裁判官といった職業も加えたいと思います。つまり言いたいことは、従来「頭の良さ」を武器に高い報酬を得ていた職業ほどAIの餌食になりやすいということです。それに対して、プロ野球選手、芸能人、ホスト、ホステスのような、「頭の良さ以外」の部分で高い報酬を得ていた人は安泰というわけです。

 知的職業の危機は、現在の学歴社会の崩壊を意味します。先に述べたように、学歴があるというのは「知識」と「思考力」に優れるという意味ですので、AIの普及でこれらの能力に対する需要が劇的に下がるとすれば、現在の意味で言うところの「学歴がある」ことの評価は下がります。

 では、「知識修得力」と「論理思考力」に代わって重要度が上がる能力とはどんなものなのでしょうか。田坂氏は次の3つの能力だと説明されています。

(1)職業的能力
 いわゆる教科書的な知識ではなく、経験を通じて掴むようなノウハウ。スキルやテクニックも重要ですが、マインドやパッションのような心の能力もより重要です。

(2)対人的能力
 コミュニケーション能力ということですが、言語的なものよりもむしろ眼差しや表情、仕草や姿勢、空気感など非言語的なものでメッセージを出したり受け取ったりする能力。

(3)組織的能力
 コーチングということですが、単にスキルを伸ばすというだけでなく、メンバーの人間的成長を支え創造力を引き出すような「心のマネジメント」や「支援型リーダーシップ」の力。

 従来重要視されていた「知識」と「論理的思考力」がデジタル的な能力と表現できるのに対して、田坂氏がAI革命によって重要になると言われる能力は、総じてアナログ的な能力ではないかと思うのです。ナレッジやロジックのような冷たさよりも、パッションやハートのような暖かさ。

 しかし、ちょっと思い出してください。例えば昭和初期から大正・明治のような時代、人々の価値観はアナログ的なものじゃなかったでしょうか。数字で冷徹にビジネスをする時代ではなく、義理と人情で商売をしていた時代。知識と論理性ではなく、感情と情熱が重視されていたんじゃないかと思います。つまりとても不思議なことですが、最先端のAIがもたらす世界は、懐かしい価値への原点回帰なのかもしれません。

2018年6月16日土曜日

信じるものは救われる?

「宗教を信じること」が長寿につながるかもしれないという研究結果

 今回は新約聖書の最も有名な言葉の一つ「信じるものは救われる」が、ある意味本当かもしれないというお話です。元記事はGigazineのものですが、このGigazineの記事もオハイオ州立大学で心理学を専攻するLaura E. Wallace氏の論文記事を元に書かれています。

 Wallace氏の研究は、2010年から2011年の1年間にアメリカ42都市で発行された1096人分の死亡記事を分析したものです。その結果、何らかの宗教を信仰していたり宗教活動に関わっていた人は、そうでない人に比べて3.82年長生きしていたということでした。わずか1年分、わずか1000人強のデータであること、アメリカの42都市だけのデータであること、死亡記事に明示的に宗教的な活動について言及があったかどうかという点だけの調査であることを考えると、まだまだ「仮説」の域を出ないとは言えるでしょう。が、それでも宗教というものが、実際に人間の健康や長寿に影響があるかも知れないというのは納得性が高い気がしませんか。

 宗教を信じることが長寿につながることの理由は、それこそ推測に過ぎませんが、1つは宗教を信じる人はアルコールや薬物使用などの不健康な習慣がない人が多いと考えられます。宗教の教えには「禁欲」を説くものが多く、三大欲求(性欲・食欲・睡眠欲)のうち睡眠欲を制限する宗教はまれですが、多くの宗教で性欲と食欲は制限が課せられます。もちろん、これらの欲求を制限することが必ずしも健康上プラスばかりではないかも知れませんが、概ね禁欲的な人はそうでない人に比べて健康的な生活をしていると言えるのではないでしょうか。

 禁欲は宗教が「身体の健康」に与えるプラス影響についての仮説ですが、もう一つ、論文記事の共著者でもあるオハイオ州立大学心理学准教授のBaldwin M. Way氏の「多くの宗教が戒律として定めている祈りや瞑想はストレスを軽減する」というコメントのように「心の健康」への影響もあるかも知れません。祈りや瞑想あるいは神を信じる心によって心の安寧が得られ、それが結果的に長寿につながるという仮説です。

 さらに、宗教と長寿の関係性において興味深い示唆が得られています。それは、住民の「経験への開放性」が高い都市は、低い都市に比べて「宗教を信仰する人」と「無宗教の人」の平均寿命の差が小さいということです。いきなり「経験への開放性」と言われてもピンと来ませんが、人の性格を
(1)経験への開放性 (Openness to Experience)
(2)勤勉性 (Conscientiousness)
(3)外向性 (Extroversion)
(4)協調性 (Agreeableness)
(5)情緒不安定性 (Neuroticism)
という5つの性質で説明しようという心理学的な分類です。この中で「経験への開放性」という特性だけが分かりづらいですが、文化的・芸術的活動への関わり度合いとか好奇心の強さとか様々な説明の仕方がされていて、いわゆる詩人やアーティスト系の特性と言えるでしょう。そういう特性を持つ人が多い都市では、宗教を信仰する人と信仰しない人の寿命差は小さかったというのです。そして、宗教を信仰する人の寿命に有意な差がないことから、「無宗教の人の寿命」が長い傾向にあると言えます。これは、宗教がもたらす健康へのポジティブな効果が、宗教に関係しない人たちにも間接的に影響を与えているのかも知れません。

 どちらかというと宗教は自分からは遠い存在で、他の人が宗教に時間を費やしてるのを見て、時間がもったいないなくらいに思っていた自分なのですが、健康に対してプラスの影響があるというのは目からウロコでした。宗教の持つ禁欲の戒律が身体の健康を促進し、救われると信じる安心感が心の健康を促進する。そう思うと、過度にハマり過ぎない程度にうまく宗教と付き合うのは悪くない気がしてきます。

2018年6月11日月曜日

日本って思ったより大きいんだ!

https://thetruesize.com/ :

 今回は日本の国土って意外に大きいんだという話題です。元記事はJames Talmage氏とDamon Maneice氏が製作した「The True Size Of...」というサイト。国名を入れるとその国を世界地図上のいろいろなところへドラッグでき、大きさを比較できるという面白いサイトです。そして試しに「Japan」と入力して表示された日本をヨーロッパにドラッグしたものがこちらです(↓)。

 どうです? 日本って思ったより大きくありませんか。ヨーロッパが実際より大きい印象があるのに対して、日本は実際より小さい印象がある気がします。例えばイギリスが244,820km²なのに対して、日本は377,914km²と、日本の方がだいぶ大きいのですが、なんとなく同じくらいかなと思っていませんでしたか。

 日本を実際より小さく、ヨーロッパ諸国を実際より大きいと錯覚させている元凶が、小学生か中学生くらいの時の授業で習った「メルカトル図法(Mercator projection)」。子供の頃から見慣れているこの地図は、地理学者ゲラルドゥス・メルカトル氏が1569年に発表した投影法の地図です。等角航路が直線で表されるので、海図・航路用地図としては極めて有用なのですが、世界地図をこれで表すのには極めて大きな弱点があります。その最大の弱点とは...面積が不正確なことです。しかも極めて不正確なのです。何しろ北極と南極は本来は点であるにも関わらず無限大に拡大されるのですから。

 つまりメルカトル図法の地図では、赤道に近いほど小さく、北極・南極に近いほど大きく表示されるわけです。例えばメルカトル図法では、日本が実際より小さく表示されるのに対して、グリーンランドは実際より大きく表示されます。元記事のサイトでグリーンランドを日本のすぐ横に持ってきてみると、思ったほど大きくないことに気づきます。実際は日本の面積の5.7倍あるので決して小さくはないのですが、それでも、メルカトル図法の地図で馬鹿でかく描かれている印象から、もっともっと大きいと錯覚していませんでしたか。

 面積の大きな国を順番に赤道上に並べてみましょう(↓)。確かに、ロシアやカナダ・中国の国土は大きい。大きいですが、メルカトル図法に騙されて、もっともっと大きいと錯覚していませんでしたか。

 自分もそうですが、子供の頃から一番見慣れている世界地図はメルカトル図法のような気がします。日本以外の国の小学校や中学校でどんな地図が使われているのか知らないのですが、日本におけるメルカトル図法の「印象操作」は強烈なものがあります。子供の頃から、こんな地図(↓)を見せられて視覚的に「日本は小さい」「小さい国土しかない日本」と刷り込まるわけです。もちろん、国土の大きさが全てではありませんが、小さい国土しかないと思い込まされている日本人は、精神的にもどこか引け目というか腰が引けてしまうところがある気がします。


 国土の広さランキングでは日本は第62位。ジンバブエ(61位)とドイツ(63位)の間で、世界196カ国の中ではどちらかというと大きな方だと言えるでしょう。先に述べたように、国土の広さで精神的に強気・弱気になるわけではないのですが、もともと控えめというか自らをへりくだる傾向がある日本人の精神構造に、「小さな国土」という先入観が加わることで、必要以上にへりくだったり自らを下に考えてしまっているのではないかと思うのです。そして、言い過ぎかもしれませんが、国際社会における日本人の弱腰ぶりとか、ワールドワイドなビジネスの場において日本企業がリードできないのも、この「日本は小さい」という刷り込みにも一因があるのではないかと思うのです。

 実は面積をできるだけ正しく表現できる地図図法というのもたくさんあります。例えばこちらのサイトでは、様々な地図図法が解説されていますので、その中から2つほどご紹介しましょう。1つ目は、サンソン図法という、すべての緯線と中央経線の長さが正しい地図です(↓)。高緯度の歪みが大きいので、ヨーロッパや米国など緯度の高い国々がだいぶ変な形になります。

 2つ目はモルワイデ図法(↓)。サンソン図法ほど極端な歪みを避けた表現で、これくらいなら高緯度の国々でも受け入れられるかもしれません。

 面積をそれなりに正しく表現できる地図があるのですから、自分は、小学校・中学校で子供に見せる地図はこちらを使って欲しいと思うのです。そして「日本は決して小さな国じゃない」という正しい認識を持って育って欲しい。例えば、帰国子女など幼い時期を海外で過ごした人の方が、物怖じせず世界の人とも対等に渡り合っていける人が多い気がしますが、それも海外で見せられる地図に日本が大きく載っていて、自分は日本人だというプライドが育つという理由もあるのかもしれない。「小さな日本」を刷り込まれて大人になった人よりも、「日本はそれなりに大きな国」という教育を受けて育った人の方が、世界に対しても臆することなく渡り合っていけるんじゃないかと思うのです。

2018年6月9日土曜日

大谷投手ばりのスピードボールを投げる方法

大谷に挑戦! 高いマウンドから投げれば素人でも球速165キロ出せるのか?:

 相変わらず「Blog This!」が使えないので、手動操作で元記事のリンクを作りましたが、今回はあの二刀流・大谷投手に挑戦しようという話題です。元記事はねとらぼのQuizKnock氏によるものです。

 さて、挑戦とは言いましたが、大谷投手の165km/hの豪速球を素人が打ち返せるわけありませんので、ここは大谷投手と同じスピードボールを投げてみようという話題なのです。ん? 165km/hのボールを打ち返すより、投げる方がむしろ絶望的に無理・ムリ・むり。素人が同じ条件で大谷投手と張り合うことはできないので、ここは大きなハンデを貰おうというわけです。そう、「マウンドの高さ」というハンデを貰うことで、大谷投手と同じ豪速球を投げてみようという思考実験なのです。

 ピッチャーがボールを投げるマウンドというのは、グランドの他の部分よりすり鉢を逆さにしたように少し高くなっています。そしてピッチャーは、マウンドの傾斜を利用してスピードボールを投げているのです。公式ルールでは、高さは10インチ、傾斜についても規定がありますが、ここは思考実験ですので、我々素人に与えられるハンデではこの高さをもっともっと貰えるものとして、一体どれくらい高いマウンドから投げれば大谷投手と同じスピードボールが投げられるかということを考えます。


 話を簡単にするために、ここでは高校物理でやるような「エネルギー保存の法則」で考えます。マウンドの高さh(厳密にはマウンドの高さ+ピッチャーのリリースポイントの高さ)で速さvのボールを投げた時に、この高さというエネルギー(位置エネルギーと言います)がホームベース上でスピードのエネルギー(運動エネルギーと言います)に変わって速さuになるとすると、下の図のような計算式が成り立ちます。これがエネルギー保存の法則です。

 ここまで話を単純化してしまうと、我々素人が使う高いマウンドh' と大谷投手が使う普通のマウンドhでそれぞれエネルギー保存の式を書いてみて、ホームベース上でのスピードが同じ(uu')とすれば、下のように素人の使うマウンドの高さh'は、普通のマウンドの高さhにハンデ分を足した式で表されます。
この式に、ちょっと乱暴ですが大谷投手の手を離れた瞬間のスピードをv=165km/hとし(本当は手を離れた瞬間はもっと速い)、素人の投げるスピードv'=60km/hとし、本当のマウンドの高さh=0.254m、重力加速度(定数)じは9.8m/s2を使用すると、必要なマウンドの高さh'は..................なんと、93m!

 ピッチャーとホームベースの間は18.44mですから、20m弱のところに高さ93mもの山がそびえ立っているという奇妙な図(↑)になります。バッターはほとんど真上に感じるであろう78.6° という角度で大谷投手と同じスピードのボールがくるわけですから、角度がついている分、むしろ大谷投手よりも打ちづらいかも知れませんね。

 今回は話を簡単化するためにかなり無理な前提を置きましたが、素人が大谷投手ばりのスピードボールを投げるにはここまでハンデをもらう必要があると思うと、大谷投手の凄さをより一層実感する気がします。すでに投手として4勝、野手として6ホームランと、メジャーでも二刀流の活躍を見せる大谷投手。この勢いで活躍して欲しいですね。

2018年6月7日木曜日

Blog This! が使えなくなった?!

 これまで、この山ちゃんウェブログの記事投稿には、Blog This!という拡張機能を使っていました。この拡張機能は、気になった記事をもとに自分なりの考えや意見を書いてログ(記録)を残しておく「当初の意味でのWebログ」には非常にマッチしていました。


 「Blog This!」を追加したGoogle CromeにはURL入力欄の横に上のようなアイコンが表示され、気に入った記事を表示させてこのボタンをクリックすると、その記事を元に自分のブログ記事を書けるというもので、この山ちゃんウェブログの記事はほとんどこの機能を使って投稿してきたのです。それが、...今週月曜の時点では大丈夫だったのですが、今日久しぶりに投稿しようかと思ったら、ないのです。アイコンが。もう一度Chrome Webストアで探してみても見つからないですし、過去のリンクから辿ってみましたが、Google Chromeへ追加しようとするとエラーになってしまいます。

 もちろん手作業で元記事へのリンクを作っておけばいいのですが、これまでなかった手間が増えるというのは、なんだか煩わしいですよね。どなたか解決法ご存知の方は教えてもらえるとありがたいです。(ちなみに自分の環境は、macOS High Sierra 10.13.4でGoogle Chromeは67.0.3396.62。おそらく現時点では最新に近いと思うのですが)

2018年6月4日月曜日

勉強しない仕事しない人間はAIが排除する社会

Chinese school uses facial recognition to monitor student attention in class:

 今回の話題は「監視社会」。元記事は、The Telegraphの掲載されたNeil Connor氏によるものです。もともと監視カメラの映像は監視と監査(何かがあった時の検証)目的であることが多かったですが、最近は人工知能(AI)の発展によって、映像を積極的に解析して新たなサービスを展開しようという動きが活発です。しかし、今回ご紹介する中国の事例は、なんだか背筋がゾッとする気がします。

 画像解析を積極的に利用する例としては、例えば空港やビルでのセキュリティ。従来より監視カメラが設置されていて、中央監視室のようなところでたくさんのモニターにその映像が映し出されていましたが、実際のところ人がじっと映像を見続けるのは拷問に等しく、映像は垂れ流しでした。しかし、画像解析にAIが活用されるようになった最近では、問題がある映像を検出した時にアラートが出てその時だけ人がチェックするという運用になっていますので、効率的で現実的な監視がなされるようになっています。例えばブラックリストに登録された人物が映った時にアラートを出したり、用もないのにウロウロしているなど怪しげな動きをしている人がいるとアラートを出したり。監視カメラ映像を活用したそんな応用例の一つに、今回ご紹介する中国の事例も当てはまるかもしれません。

 前置きが長くなりましたが、杭州のある高校では、教室の黒板の上に3台の監視カメラが設置されています。教室内に監視カメラを設置する時点で、日本よりも監視社会が進んでいることがよくわかりますが、ここからが画像の応用例。「スマートアイ」と呼ばれるシステムによって、授業を受ける高校生の映像をAIがリアルタイムに分析します。そして、授業を真面目に受けていない生徒を見つけ出すのです。単純に授業中に寝ているとか、ふざけているとかいうだけでなく、このAIは感情分析を行なうことで授業に集中できていない生徒がいれば、直ちに誰が授業に集中していないかを教壇の先生に通知します。そして、先生がその生徒に注意を与えるという運用なんだそうです。逆に授業態度が常に良い生徒は、成績に加点がなされるのだそうですが、その判断も先生の判断ではなくAIによる判断。

 よく考えると、AIによる判断で生徒が授業に集中していないとか、授業態度が良いとか判断するのは、先生の独断と偏見によって判断される従来の仕組みよりもずっと公平で透明性が高いと言えるかもしれません。人間の先生は間違いも多いですし、えこ贔屓もあるかもしれません。普段の生活態度が気にくわないとか、親が資産家で学校に影響力を持っているとか、そんな余計な情報やバックグラウンドは影響しません。

 しかしそれでも、この仕組みに対して背筋がゾッとするのは自分だけではないと思います。自分が高校生だった時、どの授業もずっと集中して聞いていたかを思い出してみればわかるでしょう。単に監視カメラで撮られているだけでなく、ずっとAIによる判断が下されているのは、気が休まる時間がない気がしませんか。生徒だけじゃありません。今は生徒が授業に集中しているかだけが監視されていますが、じきに先生側も監視対象になるはずです。同じクラスを教える英語の先生と数学の先生の授業を比べて、どちらの方が生徒が授業に集中しているかは全く同じ仕組みで判断できるわけです。そうすると、先生ごとの授業の品質もすぐに見える化されることでしょう。

 もう少し考えれば、学校の場だけでなく労働者全般にも同じことが適用される将来像にゾッとしませんか。工場労働者だけでなくホワイトカラーであっても、映像解析をもとに仕事に全力投球しているかどうかを常に関し続けられる。そんな社会。経営者側の視点に立てば、労働者をフル活用することが自らのメリットなのですから、当然真面目に働く社員を重宝して不真面目な社員は追放したいところです。従来は上司の判断という曖昧なものでしたが、AIによる公平な判断でクビを宣告されるわけですから、「それは不当解雇だ」という指摘は当たらないわけです。たとえ司法の場に持ち込んでも、証拠映像は企業側がしっかり握っていますから、労働者側の自分は頑張っていたという感情論は聞いてもらえないでしょう。

 監視カメラと画像解析による「見える化」。これまで見えなかったことが「見える」ようになるということは、それだけ気が抜けない・息苦しい世の中を生み出してしまう可能性が高いと思うんです。以前、タレントのふかわりょう氏が「ハイレゾ社会の息苦しさ」という表現をされている新聞記事を紹介しましたが、これまで聞こえなかったような音が聞こえる、これまで見えなかったことが見える。そんな社会は、人間が追求してきたテクノロジーの究極形のひとつかもしれませんが、逆に人間を追い詰めてしまうかも知れません。