2018年9月29日土曜日

美徳ラベリングの驚くべき威力

Should You Tell Everyone They’re Honest?

 今回は心理学に関する話題で、哲学者のChristian B. Miller氏の記事を元にしたものです。テーマは「ラベリング効果」。日本だと「レッテル貼り」と言った方がわかりやすいかもしれません。もちろんラベリングもレッテルも比喩で、ある人物に「あなたってこういう人だよね」というこちら側の見方を伝え、自分はそう思われているのかという認識を持たせるということです。

 レッテルというのは、綴りにすれば「Letter」。つまりレターです。ボトルに中身を書いたラベルを貼るように、ある人物をステレオタイプに分類するという側面もあります。「ラベリング」だとそうでもありませんが、「レッテル貼り」という言い方だと悪い意味に使われることも多く、例えば髪を金髪に染める子どもは不良というレッテルを貼ることで、普通の子どもを不良に押しやってしまうというケースもあるでしょう。しかし、ここで言う「ラベリング効果」は、むしろあえてレッテル(ラベル)を貼ることで、その人物の考え方や行動を変えてしまおうという積極的な姿勢のことです。そして、その効果というのは思いのほか大きいということなのです。

 Miller氏は、ある人物を思う方向の思考や行動をさせるためのラベリング(レッテル貼り)を「美徳ラベリング」と呼んでいます。例えば「あなたは正直な人ですね」と言われてしまうと、その期待を裏切りたくないという心理が働き、実際に正直な人になるというものです。人間はそんな単純じゃないと反論する人もいるでしょうが、ラベリング(レッテル貼り)の効果の大きさは多くの研究結果が物語っています。

 有名どころは、1975年にネブラスカ大学の心理学者Richard Miller氏らによって行われた研究です。被験者の子どもを3つのグループに分け、1つ目のグループには「きれい好きだ」というラベルを貼ります。2つ目のグループには「もっときれい好きになるように」と話し、3つ目のグループには何も前提となることをしませんでした。その結果、最初のグループ、つまり「きれい好きだ」とラベルを貼られたグループが最も部屋をきれいに片付けたのだそうです。もっときれい好きになるようにと言われた第2グループではないところが、この研究結果のミソです。他にも、「協力的なグループ」「競争的なグループ」という2つにラベル付けされた被験者に、ブロックで塔を組み立てるゲームをしてもらったところ、「協力的」とラベル付けされたグループが2倍もの数のブロックを積み上げたとか、「環境保護のことをよく考えている」とラベルづけされたグループが、実際に環境についての責任を考えるようになったとか、この手の研究は枚挙にいとまがありません。

 そして面白いのは、人間は悪いラベル(≒レッテル)は剥がそうとするのに対して、良いラベルは剥がさないようにするのだそうです。「あなたは金髪に染めているから不良だ」という悪いラベル(≒レッテル)を貼られた若者は、そんなことはないと反発するでしょうが、「あなたは優しい人ですね」とラベリングされた人はあえてそのラベルを剥がそうとはしません。

 相手に良いラベルを貼ることで考え方や行動を思い通りにコントロールしようという試みは、意図せずとも、おそらく日常生活の中で実践していることと思います。最近冷たい恋人に対して、「あなたは優しいね」と会話のたびに付け足すことで、相手の態度が軟化するかもしれません。子どもに対して「よく勉強するいい子だね」と言い続けることで、本当に学校から帰ったら机に向かうようになるかもしれません。

 相手を思ったように操るためのテクニックとも言える「ラベリング効果(レッテル貼り)」。その効果が短期的なものなのか持続的なものなのかは、実際のところまだよくわかっていません。ラベル付けされた人が本当にその美徳を身につけるのか、単に期待を裏切りたくない、与えられたラベル通りに生きたいと思うだけなのかもよくわかっていません。しかし、その効果が大きいことは多くの研究結果が示していますし、日常生活の中からも肌感覚で理解できます。「美徳ラベリング」というテクニックを意図的に使うことで、仕事や家庭・人間関係を今よりスムーズにすることも十分可能だと思うのです。

2018年9月27日木曜日

音楽は死につつあるのだろうか

Measuring the Evolution of Contemporary Western Popular Music

 皆さんは音楽が好きでしょうか。自分の場合、最近は通勤中にiPhoneのApple Musicで聞いていますが、さすがに今どきのJ-Popはついて行けなくなってしまったので、洋楽中心に流しています。今回は音楽が衰退の一途をたどっているという残念な記事です。元記事は、スペイン国立研究評議会人工知能研究所のJoan Serrà氏らがNatureのScientific Reportsに投稿されていた記事です。

 元記事で言われているのは、いわゆるポピュラーミュージックの質が年々低下しているという研究結果なのです。音楽の「質」ってどういうことなんだと思うかもしれませんが、ざっくり言ってしまうといわゆる「多様性」のことを言っています。

 分析対象は少し古めのデータで、1955年から2010年までにリリースされた、約4万5000人のアーティストの46万4411曲もの楽曲が収録されているMillion Song Datasetです。分析の結果、1960年代をピークに「音色」の多様性は減少し続けており、全体的に音色が均質化してきているのだそうです。「ピッチ」については、多様性が減ってはいないものの、数十年前に普及していたものと同じものが繰り返し使用されていて、現代のミュージシャンは過去のヒット曲の模倣が多く、新しい音色やピッチへの挑戦が少ないのだそうです。ちなみに「音量」については、曲の音量は8年ごとに約1デシベル増加しているのですが、曲そのものの音量を上げることはダイナミックレンジを犠牲にし、ノスタルジックな感情が起きづらくなってしまいます。

 元記事では、音色やピッチの多様性が失われることが衰退につながると言っており、確かにそういうご指摘は一理あるでしょう。しかし、限られた音色やピッチが使われるからと言って、直ちに衰退とは言えないのではないかと思います。たとえば、音楽の大衆化の流れの中で、多くの人にウケる音色やピッチが支持され、それらが繰り返し使用されるのかもしれません。またMillion Song Datasetは、1955年から1959年の曲が2650曲しかないのに対し、2005年から2009年にかけての曲は17万7808曲もあって、分析対象データは相当に偏っていると言えます。古い時代は音楽を世に出すためには相当の才能が必要だったので、Million Song Datasetに収録されるような曲はいわゆる "良曲" が多いのに対し、最近はミュージシャンになるハードルがグッと下がって、楽曲のデキも玉石混交(むしろ数の上だけでは、"模倣曲" が多い)という分析も成り立つかもしれません。

 ただ、元記事のSerrà氏は「時間の効果が最小限に抑えられるようにしており、その影響は本当に小さなものだ」と主張されており、過去の模倣ばかりの音楽業界になりつつあるとしたら、音楽ファンにとっては寂しい限りです。最近ですと、安室奈美恵さんが引退してしまって音楽の一時代が終わった気もしますし、新しい音楽を世に出してくれる次世代のミュージシャンが出てきてほしいものですよね。

2018年9月25日火曜日

あなたは思ったよりも好かれている

The Liking Gap in Conversations: Do People Like Us More Than We Think?

 今回の話題は心理学的なものなのですが、皆さんは周りの人に自分がどう思われているかって気にならないですか。「人にどう思われようが自分は自分」と割り切ることができればいいのですが、多かれ少なかれ他人との関わり合いを持ちますし、他人にイヤな奴だと思われたくないという心理は多くの人が理解できると思います。元記事は、Cornell UniversityのErica Boothby氏をはじめとして、Harvard UniversityのGus Cooney氏、University of Essexの Gillian M. Sandstrom氏、Yale UniversityのMargaret S. Clark氏の共同執筆論文です。

 論文の結論は、「会話相手が自分をどう思っているのか」ということについて本人と相手の認識は大きく異なっているということです。知らない人と会話した際、相手は会話を楽しんでいるのに、こちら側はそのことに気づかないということが多いのだそうで、このことは「認知の錯覚」と呼ばれています。

 例えば、初対面の2人をペアにして「出身は?」「趣味は?」といったありきたりの質問の会話をする実験で、実験後に被験者に
(a) 相手のことをどのくらい好きになったか
(b) 相手は自分のことをどのくらい好きになったと思うか
ということを評価してもらいます。被験者の平均をとると、(a)よりも(b)の方が低く評価されがちだったとのことです。つまり、自分が相手にどう思われているかということについては、我々は「過小評価」しがちだと言えると思います。定量的な分析だけでなく、会話の様子を録画した映像でも、被験者は相手の「興味」や「楽しさ」を示す振る舞いに気づいていないことが多いとのこと。

 これはとても面白い結果です。というのも、人は「能力」に関しては自分を過大評価する傾向にあることがわかっています。能力の低い人ほど自分を過大評価する認知バイアスは、ダニング=クルーガー効果と呼ばれています。ろくでもない運転をする人ほど、自分のことを運転が上手いと思っていたりするものなのです。しかし、対人関係における自己評価では、全くの逆。極めて遠慮がちで、自分のことを過小評価するというのですから。

 元記事では、自己評価には「相手が存在するかどうか」が影響を与えている可能性があると言われています。つまり、自分の能力を過大評価してしまうとき、そこに他者の存在はありません。それは「自分が運転が上手いと思いますか」という絶対評価です。それに対して、会話相手という他者が存在することは、評価は相対評価の側面を持ちます。会話相手のこれまでの経験の中で、自分がどの程度楽しい人間に位置付けられるかというのは、相手の出会ってきた人に左右されるでしょう。そういう相対評価の場では、自己評価に慎重になるのではないかというのです。自分は、この仮説は一理あるような気がします。

 例えば、出会ったばかりの異性に一目惚れをしたからといって、すぐに告白することができるでしょうか。しばらく友人関係の付き合いをする中で、相手が自分に好意を持ってくれていることが確信できて、はじめて告白する勇気が出てくるような気がします。五分五分ではまだ勇気が持てず、七分三分くらいの可能性を確信できてはじめて気持ち的には五分五分じゃないでしょうか。何も恋愛のシチュエーションでなくとも、人は相手に嫌われているという事実が分かると深く傷つくものですから、ハードルを下げるというか予防線を張る行為を行なうんだと思うのです。

 しかし人間関係に予防線を張ってしまうと、本当に自分のことを好きな人を遠ざけてしまう危険性があります。人付き合いをする上では、自分が思うよりも人は自分のことが好きなんだという事実は知っておいてもいいと思うのです。

2018年9月22日土曜日

ジャイアンの二面性はF先生の優しさか

【感動】ジャイアンの名言「お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ!」 はこんなに感動する話から!

 皆さんはジャイアンをご存知でしょうか。あの国民的アニメ「ドラえもん」に登場するガキ大将・剛田武のあだ名です。ジャイアンは乱暴な性格で、のび太やスネ夫を殴ったり漫画やオモチャなどを横取りしたりします。今回は、そんな乱暴者・ジャイアンの持つ男らしさや優しさにも注目して見ようと思います。元記事はNAVERまとめの記事です。

 ジャイアンは短気で乱暴な言動が多く、今回のタイトルにもなっている「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」というセリフは有名です。極めて自己中心的・自分勝手な性格で、そんなジャイアン的な考え方のことを「ジャイアニズム」というのだそうです。一方で、義理固く涙もろい一面の性格を見せることがあり、もう一つの決め台詞「心の友よ!」はジャイアンのもう一つの性格を端的に表しています。特筆すべきは、そんな義侠心に富んだ性格は映画版では特に強調されます。例えば「ドラえもん のび太の大魔境」では、自らの我の強さでみんなを危機に晒してしまい、その責任を感じたジャイアンは、たった一人で敵に立ち向かおうとするペコ(クンタック王子)と行動を共にしようとします。

 元記事で言われているのは、ジャイアンの決め台詞「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」は、2011年3月25日の「のび太のハチャメチャ入学式」で、のび太が偶然トラックの荷台にランドセルを落としてしまい、必死に走ってトラックに追いつきランドセルを回収した時の台詞だということです。利己的で他人のものを我がものとして横取りしてしまう台詞ではなく、3.11 の直後で「絆」が叫ばれた時期の友愛の象徴だと。

 ただ実際のところは、どう考えてもこの台詞はそれ以前から存在していました。元々は、小学四年生1982年9月号の「横取りジャイアンをこらしめよう」で初めて登場した台詞だと言われています。実はアニメ版ではジャイアンの決め台詞となっていますが、原作では一度しか登場していないとも言われており、元記事で言われている「のび太のハチャメチャ入学式」での台詞は、行きすぎた俺様主義を是正しようとした藤子・F・不二雄先生の優しさなのかなと思います。

 他にも、ジャイアンの妹・ジャイ子に関しては、偶然同じ名前を持つ女の子がいじめられないようにとの配慮で公式には本名がないことになっていますし、ジャイアンがのび太をいじめる台詞「のび太のくせに生意気だ」というのも、体力や成績の低さや家族などを揶揄する言い回しを避ける配慮だと言われています。優しさに包まれた「ドラえもん」、これほど長きにわたって愛され続けているのもよくわかりますよね。

2018年9月19日水曜日

知っていないと絶対に読めない英単語 ghoti

Ghoti - WIkipedia

 今回は英単語に関する小ネタです。元記事はWikipediaなのですが、ふとした時に見つけたこの単語を紹介します。実際のところ、このためにこそ作られた造語で、自然に存在する難読単語ではありませんので、どう頑張っても読めません。 ゴーチ? ゴティ? 自分も最初はそんな風に読むのかと思っていました。

 実は、この単語の正しい読み方は「フィッシュ」です。この単語は fish の音を異なる綴りで表したもので、発音も fish と同じ [ˈfɪʃ] です。単語を構成する3つの部分が、それぞれ次の単語と同じようにトリッキーに読むようになっています。
(1) gh - laugh (ラフ [læf], [lɑːf]) の gh と同じように [f] と発音
(2) o - women (ウィミン [ˈwɪmɪn], [ˈwɪmən]) の o と同じ [ɪ] の発音
(3) ti - nation (ネイシャン [ˈneɪʃən]) の ti と同じ [ʃ] の発音

 もう無理やりとしか思えないですが、裏を返せば元になっている単語の gh, o, ti の読み方がそもそも無理やりなんだと思います。英単語の中にこんな無理やりな発音をする単語があるのは、歴史的な経緯があるのだそうです。

 英語は本来フリジア語(オランダ北部)の類縁をもとに、ラテン語由来の単語が大量に導入されています。出自がそもそも複雑で、混血状態だったわけです。さらに15〜16世紀にかけて、大母音推移とよばれる大規模な変化が起こります。例えば now という単語は、もともと [nu:] と読んでいましたが [naʊ] と読み方が変わりました。さらには、近代英語はアメリカをはじめ多くの地域で使用され、アメリカの国力の増大とともに様々な言語から外来語として単語を導入し、綴りの不規則性はさらに拡大したわけです。ghoti という語の生みの親とされるジョージ・バーナード・ショー氏は、この複雑怪奇な英語に対するアンチテーゼとという意味合いを込めたのかもしれません。

 ちなみに、これに colonel (カーネル, [ˈkɝnəl]) の olo を付け加えて ghotiolo とすると、これは fisher (フィッシャー [ˈfɪʃɚ]) と発音するのだそうです。もはや誰も読めないですよね。

 さらにさらに、
(1) though (ヅォウ [ðoʊ]) の gh
(2) people (ピープル、ピーポー [ˈpiːpəl], [ˈpiːpl̩]) の o
(3) ballet (バレイ ['bæleɪ]) の t
(4) business (ビズネス、ビズニス [ˈbɪznəs], [ˈbɪzˌnɪs]) のi
は、いずれも発音としては読まない部分ですので、実は ghoti は全く発音しないのが正しいという解釈も成り立つのかも知れません...

 いわゆる言葉遊びの類なのですが、それなりに理屈を付けて単語を作り出すところなんて、プログラマーの斜め上の発想に似ているような気もして面白いですね。

2018年9月15日土曜日

他人のおならは臭いのに自分のおならは臭くない!

Why Do We Like Our Own Farts?

 今回の話題はきれな話ではありません。というのも今回は、人はなぜ他人のおならは臭いのに自分のおならは臭くないのかという話題です。元記事は、YouTubeのチャンネルAsapSCIENCEの動画です。その動画がこちら(↓)。


 ところで、人はどのくらい "おなら" をするのか知っていますか? 実は平均で1日に約10回くらいなのだそうです。可愛いあの娘も、10回もしているわけですね。そのおならについて、他人のおならは我慢ならないほど臭いのに、自分のおならはバラの香りとまでは行かないまでも、それほど臭くないと思いませんか。他人のおならは臭いのに、自分のは臭くない。これにはきちんとした科学的根拠があるのだそうです。

 簡単に言ってしますと、人は「歌」でも「絵」でも「におい」でも、普段から慣れ親しんだものを好みがちだということです。それはおならであっても例外ではなく、初めて嗅ぐ他人のおならよりも、普段から嗅ぎ慣れている自分のおならが好きということです。もっと言えば、おならのみならず体臭であっても同じです。

 慣れ親しんでいないにおいを嫌いなのは、人間の防衛本能によるところが大きいと考えられています。臭いと思うものは大抵は害をなすものであって、人が腐った食べ物や糞尿のにおいが嫌いなのは、病気や伝染病を避けるためには必要な本能から来るものとも言えるでしょう。

 人間が自分に害をなすもののにおいを嫌い、逆に自分自身のにおいを好むことで、適切な衛生状態を維持できています。面白いことに、母親は自分の子どもの排泄物は他人のものほど嫌悪感を感じないのだそうです。自分は、赤ちゃんが生まれた時からずっとオムツ替えをしている経験からそうなっているのかと思っていましたが、もっと本能的なものだったんですね。

 ただ、おならをどのくらい嫌悪するのかは、時代や性別・文化・個人の考え方など様々な要因によります。保守的な人ほどおならのにおいに嫌悪感を示すそうで、子どもたちがウンチやおならなど下ネタを好むのは、日本が保守的な社会だという証拠なのかもしれません。

 もう一つ。他人のおならに関しては、脳の前帯状皮質も大きな役割をしています。例の独特の音を聞いて誰かがおならをしたと分かった時、人はそのにおいを予想します。そして前帯状皮質は、そのにおいの危険性に備えて「気をつけろ!」と身体に警告を発するのです。そのために、本当はそれほどでもないのにすごく臭いと錯覚しているという側面もあるのだそうです。

2018年9月14日金曜日

強制されたボランティアをボランティアと呼べるのか

富士通は300人 「五輪ボランティア」企業からも“徴兵”開始

 今回は、東京オリンピックに向けたボランティア募集が9月の中旬から始まるという話題です。元記事は、日刊ゲンダイDIGITALの記事です。

 ボランティアの人員が学生だけでは足りないのか、東京五輪のスポンサー企業にはボランティアの“徴兵”が始まっているのだそうです。オリンピックゴールドパートナーの富士通は、東京五輪組織委員会からボランティア枠300人のノルマを課せられているのだとか。富士通は、社内募集により2,000人の応募があって324人を選抜している、社員に強制してはいないと言っているようですが、どうも胡散臭い気がします。というのも、富士通によれば、それは業務としてではなく積立休暇や有休を使わなければならないそうです。富士通のような大企業で働く忙しいビジネスマンが、わざわざ休みを取って、真夏の炎天下で熱中症になっても怪我しても労災が下りないボランティアなんかに行くでしょうか。富士通が「休みを取ってボランティアしていたので、今期の予算は達成できませんでした。キリッ」という理屈が通るならいいですが、そんな会社は聞いたことがありません。

 このニュース記事を見て、「国家総動員体制」という言葉が思い浮かんだのは、自分だけじゃないと思います。まるでさきの太平洋戦争じゃないですか。しかも、東京五輪組織委員会や各種組織の人たちが高い給料をもらっているのに対して、庶民はタダで働けと言っているんですよ。組織委員会の役員報酬は年2,400万円、宿泊・交通費なども全額支給なのに対して、ボランティアは報酬なしは当たり前で、宿泊・交通費も自腹。冷房の効いた部屋で踏ん反り返っている森喜朗元首相らと、炎天下の中無償労働を強いられる庶民の図。

 国際オリンピック委員会(IOC)のコーツ副会長は「やりたくなければ申し込まなければ良い」などと話しているそうですが、富士通ではボランティアに申し込まないとリストラ対象リストに載るという噂もあるくらいですから、ボランティアという名の「半強制」なのは明白です。もし自分の会社がこのノルマを課せられたら、各部から何人ずつ出せというお達しが来ることが容易に想像できます。そして一番仕事する若手から引っ張られるだろうことも、また容易に想像できます。

 個人的には、こんなボランティア強制で批判を浴びるようなことをしなくても、もっと単純に解決すればいいのにと思います。例えば、9万人とも言われるボランティアの方々に、1日1万円の日当を支払うんです。オリンピック・パラリンピックの20日間(オリンピック・パラリンピック各10日間)支払ったとしても、たったの180億円です。4,000億円もある協賛金からすればわずかな金額です。猛暑どころか酷暑が予想される2020年真夏の東京で過酷な作業をする労働者を確保する金額だと考えれば、とても安い金額だと思うんです。

2018年9月11日火曜日

アスキーアートの原点

ASCII Art – 1948 (Oct, 1948)

 今回は、はるか昔からアスキーアートが作られていたという話題です。元記事は、Modern MechanixのPaul Hadley氏の記事です。

 そもそもアスキーアートというのは、ASCII(この綴りでアスキーと読みます)コードと呼ばれる文字だけを使って絵などを表現する技法のことです。AAと略されることもありますが、簡単なところだと、
  (^▽^) m(_ _)m orz
のような顔文字から、
  ____ ∧ ∧
  |\ /(´~`)\<発展段階
  | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  | |=みかん=|
   \|_____|
のように複数の行を使用するもの、さらには
      , -.―――--.、
     ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
    .i;}'       "ミ;;;;:}
    |} ,,..、_、  , _,,,..、  |;;;:|
    |} ,_tュ,〈  ヒ''tュ_  i;;;;|
    |  ー' | ` -     ト'{
   .「|   イ_i _ >、     }〉}
   `{| _.ノ;;/;;/,ゞ;ヽ、  .!-'
     |    ='"     |
      i゙ 、_  ゙,,,  ,, ' {
    丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ
  ''"~ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-
     ヽ、oヽ/ \  /o/  |
のような、アートと呼べるレベルのものもあります。

 Hadley氏の記事で紹介されているのは、そんなアスキーアートの原点とも言える1948年の作品で、当時はアスキーアートとは呼ばずに「Keyboard Art」と呼ばれていたのだそうです。その作品がこちら(↓)。 


 当時はコンピューターなどありませんから、タイプライターを使って作られていました。画面を見ながらキーボードを打って何度でも書き直せるAAとは違い、タイプライターのKeyboard Artは、この(↑)Xだけで作られた花の作品のように、まず紙に輪郭を描いてからその中をXで埋めるような描き方をされたものが多かったのだとか。

 元記事で紹介されているのは1948年ですが、そもそも文字を使って絵を描こうという試みの起源は、19世紀の古いタイプライター時代にさかのぼります。現在知られている最も古いKeyboard Artは、1898年(明治31年)にFlora Stacey氏が蝶を表現したものだと言われています(Wikipediaより)。いわゆるタイプライターが商用として販売されたのが1865年と言われていますから、タイプライターが世の中に広まるに連れてこういったアートが考え出されたということです。

 タイプライターはアルファベットと数字・記号しか使えないという制約があって、とても絵を描くのに適した機械ではありません。でも、そんな制約があるからこそ、アートが生まれる。全くの自由では工夫する必要がない。むしろ制約が多いところにこそ工夫が生まれ、アートにまで昇華されるというのが面白いですよね。極論すれば、アートとは制約のあるところにしか生まれないとも言えるかもしれませんね。

2018年9月7日金曜日

世界で一番ほっこりする脅迫状

【衝撃】Twitter女さん「娘とお留守番してる夫からこんな脅迫された…」 

 今回はTwitterで話題になっていた、この話題。たくあんちゃん (@sosocanishino)が夫から受け取った、世界で一番ほっこりする脅迫状です。


 何気に「縦読み」だったりするんですよね。小さい子どもと二人っきりで過ごすお母さんをちょっと解放してあげようという、旦那さんの心づかいがほっこりしますね。

2018年9月6日木曜日

実写にしか見えないCG美女とCGにしか見えないリアル美女

“実写にしか見えない”3DCG女子高生「Saya」にそっくりな“本物の女性” 「正直、叩かれると思っていました」

 この弱小ブログの中で比較的読まれている方の記事に、「美女アンドロイドかアンドロイド美女か」という記事があるのですが、その中でモデルの高山沙織さんが東京ゲームショウでアンドロイドとして展示されたところ、多くの人が生身の人間ではなくアンドロイドだと信じてしまったという話題をご紹介しました。もう一つ別の記事で、CGアーティストの石川晃之さんと友香さんの夫妻のユニット「TELYUKA」によるCG女子高生「Saya」もご紹介したことがありますが、今回の記事は高山沙織さんがSayaのモノマネをしてとても似ていたと言う話題です。元記事は、ITmedia NEWSのニュース記事です。

 何はともあれ、まずはCG女子高生Sayaと高山さんの比較写真から(↓)。写真を並べてみると、どっちがCGか分からない...というのはちょっと言い過ぎですが、こんなにもソックリだということに驚きです。高山さんご本人も、ガッツリ似せようとしたと言うよりは制服とウィッグだけの自撮り写真なので、反響に驚いておられるようです。(正解を言う必要はないと思いますが一応、左側が高山さん、右側がCG女子高生のSayaです)


 ではもう少しガッツリ似せようとしたらどうなるのか。その写真がこちら(↓)。プロのカメラマンの撮影した写真で、Sayaに似せるために表情を柔らかく凛とした目線を意識したのだそうです(↓)。


 東京ゲームショウの時もそうですが、やっぱり高山さんってなりきった時はアンドロイドっぽいというか、造りもののような雰囲気がありますよね。生身の人間側がこれだけ寄せてくると、CGやアンドロイドと見分けがつかなくなるのも時間の問題といった感じがしますよね。高山さんご自身、東京ゲームショウからモデル人生が一変したと言われていますので、女性タレント・女性アイドルの新たな分野が誕生した瞬間だったのかもしれませんね。

2018年9月4日火曜日

テレパシーを実現する技術

Computer system transcribes words users “speak silently”

 今回の話題は、自分もコンピュータテクノロジーの発展の凄まじい一つの例をご紹介したいと思います。超能力者でもなければ使えないと思っていた「テレパシー」。実は技術的にはすでに実現済みだって知っていました? 元記事はMIT NewsのLarry Hardesty氏による記事です。

 何か考えごとをしているとき、ぶつぶつと独り言を口にしている人をたまに見かけるでしょう。実は自分も少し独り言を言ってしまう方なのですが、頭の中で考えていることを言葉としてアウトプットし、それをもう一度耳からインプットすることで、思考が整理される気がするのです。本当に口に出さないまでも、概念のまま考えるより、頭の中で言葉にしながら考えている人がほとんどではないかと思います。

 頭の中だけに存在して思考の道具として用いられる言葉は、「内言」といって、普通は自分の中だけの言葉ですが、マサチューセッツ工科大学(MIT)のMITメディアラボでその内言を読み取って音声として発する装置の開発が進められています。装置の仕組みは、顔と顎の筋肉の微細な電気信号を読み取って、人工知能(AI)で解析するということなんだそうです。

 装置はこのように耳から顎のラインに沿って装着され(↓)、唇の下と顎の部分に4つの電極が内蔵されています。人間が「内言」を発すると、筋肉が目に見えないくらい微細に動き、それを電気信号として検知します。得られた電気信号を機械学習によるAIで解析することで解読するわけです。


 実は、「内言」が筋肉の動きに現れることについては、1950年代から研究が進められてきています。しかし、筋肉の動きを解読しようという試みは、ほとんど進められてきませんでいした。埋もれていたこの研究に光を当てた今回の最新技術によれば、被験者が頭の中で思った言葉を92%の精度で解読することに成功したのだそうです。この装置は骨伝導ヘッドセットの役目も兼ねており、相手の「内言」が送られてきた場合、トランスデューサーによって振動に変換され、頭蓋骨を介して内耳を直接振動させることで言葉として聞くこともできる、つまり双方向にやり取りすることができるのです。もうこれは、テレパシーと言っても過言ではないのではないでしょうか。

 例えば、騒音の激しいところでも頭の中で思うだけで会話ができたり、逆に物音を立てることが許されない軍事作戦時のコミュニケーション手段としての活用も期待できます。何より、言葉を使うことが不自由な人のコミュニケーションを支援するツールとしても活用できそうで、いわゆるコミュ障の人にも朗報かもしれませんね(笑)。

2018年9月2日日曜日

「夢を諦める」ことの重要性

職業、出世…叶わぬ「夢」を正しく諦める方法

 今回は、何だか日本人的なマインドに合わないタイトルですが、諦めずに夢を追い続けることの重要性ばかりが説かれる世の中で、逆に夢を諦めることも重要なことだという話題です。元記事は、明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科の野田稔教授によるダイアモンドオンラインの記事です。

 この夏、吉田輝星投手を要する金足農業高校が、秋田県勢103年ぶりの決勝進出という偉業で甲子園を沸かせました。多くの強豪校は100人を超える部員がいると思いますが、そんな中からレギュラーを勝ち取り、予選大会を勝ち進んで甲子園に出場しただけでも十分ヒーローです。しかし、トップレベルの選手にはまだその先の勝ち残り競争が待っています。プロ野球、あるいは最近ですと大リーグを目指した闘い。その勝負の世界に飛び込んだ中でも、一軍を目指した勝ち残り競争があり、一軍のレギュラーを勝ち取ったとしても、現役引退後もコーチや監督などができるレベル、野球殿堂入りするようなレジェンド級に上り詰める選手はほんの一握りです。

 つまり言いたいことは、野球というスポーツで頂点を目指した選手のうちほとんどは、夢半ばで破れるのです。はたから見ていると、甲子園に出られただけでも十分ヒーロー、プロ野球に入れただけでも十分に凄いことじゃないかと思いますが、頂点を目指す選手にとっては慰めにならないと思います。

 少し極端な例を出しましたが、実際のところほとんどの人が人生の中で「夢を諦める」ことを経験しています。人生の成功者と言われる人たちでさえ、実は子供の頃は◯◯になりたかったんだけどねという話をされる人がたくさんおられます。そういう方々は、子どもの頃からの夢を正しく諦めて別の道を目指したからこそ、今の成功をおさめられたのでしょう。

 しかし、少なくとも日本で生きている限りは、「夢を諦めない」ことの重要性ばかりが説かれていて、「夢を諦める」ことの重要性が説かれていないと感じます。プロ野球に進めなくても、社会人野球や独立リーグなどに進んでドラフト指名を待つとか、メジャーデビューを夢見てバイトしながら音楽の道を夢見続けるとか、そんな「諦めない」姿勢こそが大切、途中で諦めて就職する人は負け組でカッコ悪いことだと。諦めないことの重要性ばかりが説かれる日本文化は、「努力」を過剰に重要視しているんだと思うのです。諦めることはいつでもできるが、諦めてしまったら夢はそこで絶たれてしまうと。

 もちろん「簡単に」諦めることがいいことだとは思いません。努力して夢を実現しようという姿勢も大切でしょう。しかし、モノにならないことが分かったなら、グズグズと夢にこだわり続けずにスパッと諦めて、別の道を探すということもまた重要だと思うのです。子どもの頃の夢をそのまま叶えて上り詰めた人は、いないわけではないもののごく少数派です。夢を諦めて別の道を進み、その道で成功をおさめている人の方が多数派だと思うのです。

 でもこの「諦める」という能力、一筋縄では行きません。夢を実現すべく努力を重ねた人ほど、諦めるとこれまでの努力を無駄にしてしまう気がしてしまいます。実は諦めることはつらいことで、努力を続けることの方がむしろたやすい道です。一体どうやって「諦める」というつらさを乗り越えることができるのでしょうか。

 野田教授も、まずは「負けを認める」しかないと言われています。努力した人ほど自分の能力の限界を感じますが、ほとんどの人はそこで「負け」を認めません。原因は自分の能力のなさだと考えず、努力の足りなさだと考えてしまいます。そして、ますます努力する方向へ行ってしまいます。しかし、一歩下がって冷静な目で自分を見つめ直してください。こんなにも努力したのにモノにならなかったのです。それは努力ではどうしようもない、能力の差だったのです。つらいことですが、素直に負けを認めましょう。

 そのうえで「できることなら嫌いになれ!」と野田教授は言われています。それまで全身全霊を捧げてきた対象を嫌いになることは、実際にはとても難しい。しかし、何とかして自分の人生をその道から遠ざけるのです。音楽の道を目指してきた人が、夢を諦める時に楽器を処分してしまったり、スポーツで一流になることを目指してきた人がその競技の道具を処分したりして、とにかく物理的にその対象から「逃げる」んです。日本では「逃げる」ことは卑怯なことだと考える風潮がありますが、決してそんなことはありません。

 「夢を諦めない」ということばかりが素晴らしいことのように思われていますが、「夢を諦める」こともまた人生の中で重要なことです。もっと言えば、「上手に」夢を諦める能力こそ、人生の成功のための秘訣と言っても過言ではないかもしれません。

2018年9月1日土曜日

漆黒のブラックホールにご用心

Visitor falls into Sir Anish Kapoor’s Descent into Limbo

 今回はちょっとした小ネタのようなものですが、ポルトガルの美術館に展示されていた穴にお客さんが落ちて病院に運ばれたというニュースが気になったので、取り上げさせて頂きます。元記事はTHE TIMESのニュース。

 自分は、単に穴に落ちただけでニュースになるって一体どういうことなのかと思いましたが、その穴の正体を見て納得(↓)。とにかく黒いんです。黒すぎるんです。「漆黒」という言葉は、この穴のためにあるのではないかと思うくらい。穴が空いているというよりも、真っ黒のカーペットが敷かれているだけのようにさえ見えます。この黒い穴、実は2.4mもの深さがあって、その内部が「世界で最も黒い物質」といわれる「Vantablack(ヴァンタブラック)」で塗られていたのです。


 とにかく、このVantablackという物質。こんな風にコーティングしたアルミホイルをしわくちゃにしても、とてもしわくちゃになっていると分からないくらいです(↓)。Vantablackが世界で最も黒いと言われるのは、その圧倒的な可視光吸収率にあります。通常は、黒色の可視光吸収率は95~98%程度なのにも関わらず、Vantablackの吸収率は99.965%。まるで、光を全て飲み込んでしまうブラックホールであるかのようです。


 ちなみにお客さんが落ちてしまった穴は、インド出身の彫刻家アニッシュ・カプーア氏の作品で、作品名は「Descent into Limbo(辺獄への転落)」。お客さんが本当に転落してしまったというオチですが、大怪我になっていなければいいのですが... これからは、漆黒を見つけても迂闊に近づかないほうがいいかもしれませんね。